2012年9月20日木曜日

ロック界最大の異形 ジャニス・ジョプリン






10月4日はジャニスの命日ですな。生きていれば彼女も、もう70歳になろうとする年齢。ちょっと想像がつきません…

死因は謎とされています。ジャニスは婚約者にも巡り会い、制作中のアルバム『PEARL』(パールは彼女の愛称)も完成間近であり、その意味で自殺の可能性は皆無だったのです。
けれども、実際には長年のジャンキー生活が招いたゆっくりとした自殺だったと思わざるを得ません。彼女の手にはタバコを買った時のつり銭、4ドル50セントが握られ、傍らには封の切られていないマルボロが転がっていたといいます。

美空ひばりと同じく大好きだった紫に縁取られた『PEARL』。そこに写るとても幸せそうなジャニスからは、充実した人間力とロッカーとしての色気が強烈に発散されています。その密度たるや尋常ではありません。遺作となった作品のジャケットとは、にわかに信じ難い感じです。
ジャニスの死はあらゆるロック、ブルーズ、ソウル ファンにとって痛恨でした。ジャニスが本当の活躍をするのは、正にこの作品以降のはずだったからです。

ジャニスがデビューした当時、多くのリスナーが彼女の歌を聴いて、黒人のブルーズ歌手を想起したと言います。確かにその通りでしょうね。“白人があんな風に歌えるなんて信じられない”という評価にこそ、ジャニスのアイデンティティの全てがあります。 実際、彼女の歌を聴いたビートルズのポール・マッカートニーも全く同じ感想を持ったといわれています。


いわし亭部長は、彼女の残したアルバムでそのしゃがれた歌声を聴いて、モンタレー ポップ フェスティヴァル(’67年6月17日)のビデオで、まるで女性であることを放棄したかのような歌いっぷりを見、その勇姿に感服してましたし、それこそが彼女の戦略であると思っていました。しかし、実際にはかなり違っていたのです。


ジャニスは自分のことをブスだと信じて疑わなかったそうです。テキサスの女学生時代には、“校内で最も醜い女”なんてまったくもって気の毒なあだ名で呼ばれていたのだから無理もありません。彼女が活動の拠点にしたサンフランシスコのグループ ジェファーソン エアプレーンの歌姫 グレース・スリック(確かに凄い美人さんです!)にとても憧れていたともききます。いかにも女性らしいヌード写真も残しています。

彼女の伝記映画としては最大の『ジャニス』を見ると、実に女性らしい柔らかく律動的な動きで観客を魅了するジャニスの姿が確認できます。この作品を見て、いわし亭部長のジャニスに関する認識はかなり変わりました。女性歌手の突き当たる一つの問題は、正に“女性である”ということであり、ジャニスも例外ではなかったのです。


男性経験をキャリアと割り切るマドンナのスマートな頭脳プレーでもなく、女性の自立と権利を声高に主張するシンディ・ローパーの勇ましさでもなく、ケイト・ブッシュのような女性原理に基づいた呪術性を前面に押し出した生理としての女性性でもなく、ジャニスからはコントロールが不可能な、女性であることから逃れられないどうしようもない業のようなものを感じます(ちょい例が古くて、分かりにくいかもしれませんね。すみません) 。

それは嫉妬であったり、コンプレックスであったり、様々な悩みであったり、正に女性特有の不器用さです。そしてそれこそが彼女にとってのブルーズでした。
ある評論家が、ジャニスは実はブルーズ歌手ではなくソウル歌手だった なんて仮説を発表して、悦に入っているようですが、リスナーにとって音楽を分類する記号なんてどうでもいいですやん。
彼女の抱えていた疎外感、孤独な叫びこそがジャンルを越えて、リスナーにジャニスを唯一無比の歌手と認識させ、またその事実が彼女を生きながら葬ったのですから。


ステージを降りた彼女は、ごくごく普通の女性でした。だからこそ、そんな女性が天賦の才能を持ってしまった悲劇性が際立っています(ジャニスのわずか2週間前に亡くなっていたジミ・ヘンドリックスもまたギターを手放すと、実に不器用な男性だったと言われています)。
そこには、現在のあざとい音楽産業のプランみたいなものは何もありませんでした。実際のところ、現在のポップ&ロック シーンにマドンナやシンディ・ローパー、ケイト・ブッシュの模倣者を見つけることはさほど難しいことではありません。ところが、ジャニスとなるとこれが皆無なのです(ただ、早逝した~なんとジャニスと同じ年齢 エイミー・ワインハウスには同じ匂いを感じますが…)。
それは死すらも一つの表現として完結させてしまう’60年代のロッカーに特有の破滅的な生きザマと音楽との相似性であったりもします。

そしてジャニスに関する多くの言葉は、いわし亭部長の言葉も含めて、語る側のまったくの思い込みでしかないことを痛感させられるのです。




 『PEARL』

1. Move Over
2. Cry Baby
3. A Woman Left Lonely
4. Half Moon
5. Buried Alive In The Blues
6. My Baby
7. Me And Bobby McGee
8. Mercedes Benz
9. Trust Me
10. Get It While You Can










本文でも触れたジャニスの遺作。最高傑作とも言われる本作には、彼女の死によって一曲だけがイントゥルメンタルのまま収録されています。タイトルは「生きながらブルーズに葬られ」。何とも出来すぎた話です。

ここからは、ジャニスの最初で最後の全米ナンバーワン ヒット「ミー&ボビー・マギー」が収録されています。直線的に情熱のおもむくままに歌われたジャニスのヴォーカルが、ここでは実にしっとりと抑揚をきかせた感興深いものになっているところに注目してください。これは完全な後づけでしかありませんが、この曲を聴くにつけ、ジャニスは自らの死を予見していたのではないかと思えて仕方がないのです。
シングル カットされた両A面のもう一曲は、これこそジャニス・ジョプリン以外の何ものでもないメチャクチャかっこいい「ジャニスの祈り」。多くの女性歌手がこの作品にチャレンジしていますが、いわし亭部長は残念がら、ジャニスを凌駕するだけのカヴァーを聴いたことはついにないのです。

ベット・ミドラーが’79年に主演した佳作『ローズ』はジャニスがモデルとされています。この作品のサウンド トラックは実に名曲ぞろいで泣かせてくれますが、タイトル曲である「ローズ」は全米で第3位を記録する大ヒットとなりました。’80年にベットは、この曲でグラミー賞の最優秀女性ポップ・ヴォーカルを受賞しています。









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