2013年2月1日金曜日

今、なぜ 1960-1970年代なのか? 



アーティストの生き様、その鮮烈な輝き ~1960-1970年代へのオマージュ


アメリカのハードロックバンド ザ ドアーズのヴォーカリストで、アメリカを代表する詩人といってもいいジム・モリソンは1969年に語っている。
“歴史的な観点から考えると、僕らの時代は、フランス中世の吟遊詩人の時代に例えられるんじゃないかな。素晴らしくロマンティックな時代だと思う。未来の人々は、1960年代をきっと良い時代だったと評価するだろう。とても多くの変化が起こっているし、しかもそれが良い方向に向かっている。精神的、文化的ルネッサンスだったんだ”

1960-1970年代は、数多くの伝説的なミュージシャンを輩出し、神話的なエピソードにも事欠かない。音楽がビジネスとして完成してしまった1980年代以降にも、そうしたエピソードが皆無というわけではないけれど、うんと少なくなってしまった気がする。

ヒットチャートの音楽を熱心に追いかけることが、少なくなった。
それは、ノスタルジーの世界で語られる訳知り顔のうんちく話に熱中するわけではなく、単純に、新しいタイプの音楽に順応できないが故の、悔し紛れな負け惜しみでもない。

残念ながら、音楽にまつわるリアルな背景が感じられないのだ。アーティストの生き様が、音楽に向かう思いが、見えてこない。これでは、共感できないのである。
それは、技術ではない。

プロとアマという問題はある。1960-1970年代は音楽に関わることが趣味ではなく、プロフェッショナルへと変貌していく過程でもあった。音楽を職業としているプロフェッショナルなミュージシャンは、誰よりもまずヒットする音楽を作り、誰よりもうまく演奏し、踊り、歌うことでサラリーを稼ぐ。ヒットの公式をものにしたプロデューサーと言われる人々もいる。彼らは、自らの信じる公式に従って、素材である音楽の悪いところを取り除き、良いところだけを残して、パッケージソフトとして完成させ、流通させることに長けている。
われわれ素人には及びもつかないプロフェッショナルな仕事に対する敬意や感動は、いわし亭にも、もちろんある。

しかし、その一方で、1960年代、最も殉職率の高かった職業の一つを選んだアーティストたちが、どうしようもなくダメダメな人生を送り、その命を賭して生み出したヴォーカルの絶叫、ギターの一音、必殺のフレーズに、何物にも代えがたい魅力があるのも確かなのだ。


2007年12月10日、伝説のロック グループ、レッド ツェッペリンが、アトランティック レコード創設者のトリビュート コンサートに登場した。オリジナルメンバーのジョン=ポール・ジョーンズ(ベース)、ジミー・ペイジ(ギター)、ロバート・プラント(ヴォーカル)、そして1980年に亡くなったドラマー、ジョン・ボーナムの息子 ジェイソン・ボーナムの4人は、2時間以上にわたり圧倒的なパフォーマンスを行った。
5年後の2012年11月、この模様を収めたアルバムが『祭典の日(奇跡のライヴ)』として発表された。専門誌の評価やファンの感想に否定的なものはほとんどなく、むしろ、現役で彼らに拮抗するバンドを探すのは難しい との意見さえ多かった。セールス面でもよく健闘している。
60歳代のロートルメンバーが演奏する過去の遺物が、なぜここまで圧倒的なのか。1968年にデビューし、1980年に解散したレッド ツェッペリンは、徹頭徹尾1970年代を体現したバンドであった。21世紀を迎え、ついに再現されたその偉大なる業こそ、1960-1970年代に活躍したバンドにしか使えない魔法なのかもしれない。





1グッド タイムズ バッド タイムズ
2. ランブル オン
3. ブラック ドッグ
4. 死にかけて
5. フォー ユア ライフ
6. トランプルド アンダー フット
7. 俺の罪
8. ノー クォーター

1. 貴方を愛しつづけて
2. 幻惑されて
3. 天国への階段
4. 永遠の詩
5. ミスティ マウンテン ホップ
6. カシミール
7. 胸いっぱいの愛を
8. ロックン ロール











2 件のコメント:

  1. 「1960年代、最も殉職率の高かった職業の一つを選んだアーティストたちが、どうしようもなくダメダメな人生を送り、その命を賭して生み出したヴォーカルの絶叫、ギターの一音、必殺のフレーズに、何物にも代えがたい魅力があるのも確かなのだ。」

    音楽を職業としているプロフェッショナルなミュージシャンを否定するつもりはないのですが、そのような彼らと、ダメダメな人生を送った人たち、どちらが魅力的か、と言えば、私は後者の音楽や人としての在り方に圧倒的に魅かれますね。。
    命を懸けて(命を削って)、魂をかけた音楽だからこそ、心を打つのだと。。


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  2. そうですね。これは何も、音楽に限ったことではなくて、藝術全般に言えることではないでしょうか。我々、凡庸な人間は、彼らのような破滅的な人生は到底、送れない。だからこそ、ある種の憧れがあるのかもしれませんね。自分の人生の延長線上にあるような藝術家に惹かれないのは、ある意味、当然とも言えます。記録より記憶と言う言葉もあります。時代が平成に移り、あらゆる分野で昭和の記録は次々と更新されていますが、それ自体に大した意味があるとは思えません。

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