2013年6月7日金曜日

まぼろしの世界~ドアーズのスポークスマン レイ・マンザレク氏 死去に寄せて



ドアーズのキーボード奏者 レイ・マンザレク氏死去、胆管がんで闘病
ロイター 5月21日(火) 8時25分配信


5月20日、米国の伝説的ロックバンド  “ ドアーズ ” のメンバーで、キーボード担当のレイ・マンザレク氏が、ドイツのローゼンハイムで死去した。


米国の伝説的ロックバンド  “ ドアーズ ” のメンバーで、キーボード担当のレイ・マンザレク氏が20日、ドイツのローゼンハイムで死去した。74歳だった。同バンドのマネジャーが明らかにした。[ ロサンゼルス 20日 ロイター ] 

声明によると、マンザレク氏は胆管がんを患い、闘病生活を送っていた。“ ドアーズ ” のギタリスト、ロビー・クリーガー氏も “ 友でありバンド仲間のレイ・マンザレクの訃報を聞き、深く悲しんでいる。レイは私の人生においてとても大きな一部であり、会いたくてたまらなくなるだろう ” との声明を発表した。

マンザレク氏は1939年、イリノイ州シカゴ生まれ。1965年にボーカルのジム・モリソンと “ ドアーズ ” を結成。代表作に 「 ブレイク オン スルー 」 や 「 ハートに火をつけて 」 がある。

写真はギタリストのロビー・クリーガー氏(左)とハリウッドの殿堂入りを祝うマンザレク氏。2007年2月撮影 ( 2013年 ロイター/Gus Ruelas )


2012年 Skrillex ( スクリレックス )  と ’60~ ’70年代音楽シーンの伝説 The Doors ( ドアーズ)  のメンバー ( ロビー・クリーガー、レイ・マンザレク ) がコラボした 「 Breakin‘ A Sweat 」 がリリースされ、そのドキュメンタリー映像が YouTube にアップされた。(http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=pT40_00AGQU
ギタリスト、ロビー・クリーガーはローリングストーン誌に “ これこそ21世紀のドアーズのサウンドと言いたい : I like to say this is the 1st new Doors track of the 21st century ” と語った。



レイ・マンザレク氏 死去に寄せて ~ザ ドアーズ アフター

セクシーでハンサムで、文学的な才能があり、ヴォーカリストとしてのカリズマ性が抜きんでていた人物と一緒にバンドをやるというのは、しかも彼が若死してしまい、そのイメージを守るためにスポークスマンとして、そのバンドの解散後も生涯関わって行かなければならないというのは、まさに貧乏くじを引いたようなもので、レイ・マンザレク氏の苦労は筆舌に尽くしがたいものだったと思う。

けれども、同時にそれは、得難い友人と過ごした数年間の思い出で一生を過ごせたという意味で、マンザレク氏ほど幸福な人も珍しかったのかもしれない。
今頃は天国でジム・モリソンと再会し、バンド結成の話で意気投合したヴェニス ビーチの ’66年の夏のあの瞬間を懐かしく反芻しあっているだろう。ご冥福をお祈りしたい。

ドアーズが現役だった当時の音楽誌には、ロサンゼルスのどんより曇った空に濁ったペンキをぶちまけるようなオルガン サウンドという分かったような分からない様な比喩がされていたりで、ことほど左様にドアーズというのは、つかみどころのないバンドだった。



実際、ヴォーカリストのカリズマ性が圧倒的であったがゆえに、他のメンバーはかなり損をしている。
オリジナリティにこだわり、ローリング ストーンズやビートルズと同じようなサウンドになるのを避けるため、あえてベーシストを入れず、オルガンでバンド サウンドを固めた判断は、マンザレク氏によるものだ。キーボードを擁したバンドはたくさんあるが、ベースの代わりにキーボードやギターを機能させたアイディアは秀逸であり、この判断は高く評価されていいと思う。
彼らの最大のヒット曲である 「 ハートに火をつけて 」 や  「タッチ ミー 」 はギタリスト ロビー・クリーガーの作品で、ジムが存命中のドアーズが発表した13枚のシングルのA面のうち、実に7曲の作詞・作曲を手掛けている。リーダー格のマンザレク氏とジムの作品は曲調が暗く、反社会的なものも多かったため、「 ハートに火をつけて 」 でドアーズを知ったファンが、デビューアルバムを手にした際の違和感は、現在の我々の比ではなかったろう。
フラメンコギターからそのキャリアをスタートさせたロビーは、5本の指全てを使うフラメンコスタイルのフィンガー ピッキングを得意 ( 例えば 3rdアルバム 『 太陽を待ちながら 』( ’68) 収録の 「 スパニッシュ キャラバン 」 など ) としたが、ベーシストのいないドアーズでは、このフィンガー ピッキングがことのほか有効に機能した。
ジョン・デンスモアのジャズのメソッドを駆使したドラムも、いわゆるハードロックのバンドにしては異色だったが、ジム・モリソンの気まぐれなステージングを支えるためには、そのインプロヴィーゼーション スキルはなくてはならないものだった。

ジムを失ってからも、残された三人はドアーズを続けたが、やはり商業的な成功には恵まれず、 『 アザー ヴォイセズ 』 ( ’71 ) 『 フル サークル 』 ( ’72 ) の2枚のアルバムを制作して解散する。

その後、ロビー・クリーガーとジョン・デンスモアは The Butts Band を結成。ジムの呪縛から解放された彼らは、自分たちの気質にあわせた音楽性を楽しむ方向で活動を続けた。英国ロック界屈指のいぶし銀の喉を誇るジェス・ローデンがヴォーカルで参加した ’74 年のデビューアルバムは、ドアーズの作品を手がけたブルース・ボトニックをプロデューサーに迎え、ロンドンとジャマイカで録音された。ジェスのブリティッシュ スワンプと元ドアーズの L.A. サウンドのミクスチャーは、グルーヴィなリズム&ブルーズに結実し、地味ではあるが玄人好みの渋い名盤に仕上がっている。

一方のマンザレク氏は、ジムの生まれ変わりを執拗に探し、ドアーズの再生を画策し続けた。ファントムと名付けた不思議なヴォーカリストを自らのバンドでデビューさせたり、L.A. パンクバンド X のデビューアルバム 『 Los Angeles 』 ( ’80 ) をプロデュースした。本作ではドアーズの 「 ソウル キッチン 」 ( 4th アルバム 『 ソフトパレード 』 ( ’69 年) 収録 ) がカヴァーされている。
しかし、この頃、ジム・モリソンそのもののイメージを醸していたのは他ならぬイギー・ポップであったと言われている。イギーは自らジムのファンを公言しており、実際、ジムの後任としてドアーズに参加するのではないか とさえ言われていたのだ。

アメリカンパンクを象徴したテレヴィジョンのトム・ヴァーラインは “ ドアーズのいたエレクトラレコードと契約する ” ( ’77年 ) と公言し、パティ・スミスはフランスのペールラシェーズのジムの墓前にたたずむ写真を撮影した。
フランシス・コッポラの20世紀最大の問題作とさえ言われた 『 地獄の黙示録 』 ( ’79年 ) の冒頭とエンドタイトルで、この作品のテーマを象徴するように流れたのは、ドアーズの 「 ジ エンド 」 であった。
エコー&ザ バニーメンはデビュー当初から、イアン・マッカロクのヴォーカル スタイルがジムと酷似しているとの指摘が多かったが、映画 『 ロスト ボーイズ 』 ( ’ 87年 ) のサウンドトラックで満を持して、マンザレク氏のプロデュースのもと 「 まぼろしの世界 」 ( 2nd アルバム 『 ストレンジ デイズ 』 ( ’67年 ) 収録)をカヴァーする。
’72 年の解散後もドアーズをめぐる動きは途切れることなく続いたのである。

RO69ニューズ : 
ドアーズのロビー・クリーガーとジョン・デンスモアによるレイ・マンザレク追悼ライヴが実現に

オリバー・ストーン監督の
『ドアーズ』(’91)の原作本

2002年、マンザレク氏とロビーは、カルトのイアン・アストベリー、元ポリスのスチュワート・コープランドらと 21世紀のドアーズ the doors OF THE 21ST CENTURY を結成する。
エキスポ70 大阪万国博覧会の開催に合わせて来日の計画があったドアーズは、2003年、21世紀のドアーズとしてサマーソニックのステージを踏むため、実に 30 年以上の時を経て、ついに来日した。ジムの存命中でさえ実現しなかったドアーズの日本公演ではあったが、ジョン・デンスモアは耳の病気を患って、演奏ができなかったとされ、オリジナルメンバーはマンザレク氏とロビーだけであった。しかし、カルトのイアン・アストベリーはジムを思わせる長髪とスリムな風貌で、なかなかの雰囲気を醸し出し、サマーソニックに参加した多くのミュージシャンたちは、これを敬意をもって迎えた。


------------------------------------------
セカンドアルバムのジャケットを彷彿するイメージ写真

以下は当時、この 21世紀のドアーズを聴くために老体にムチ打って参加した 『 サマーソニック 2003 』 の覚書である。

2003年8月2日 ABC/creativeman/vodafone SUMMER SONIC ’03 OSAKA
真夏の世の夢 ~ “ サマー ソニック ’03 ” に立ち上ったまぼろしの世界


オールスタンディングの真夏の野外ライヴに行くなんてバカなことをやる気になったのは、全部 ドアーズのせい! まずは何をおいても、レポートはここから始めないとね

資料によれば ’70 年の万博の時に可能性があったらしいが、おそらく件のマイアミ事件のせいで中止となりその後、ジムが急逝したため結局、実現しなかった来日が、実に33 年を経て正に紆余曲折の果て、実現した。
本年の “ サマーソニック 03 ” は、レディオヘッドのエントリーが決まった時点で成功はほぼ間違いなく、野外コンサートでありながらなんとチケットがソールド アウトという異例の事態を招いた。あらゆるロック ファンにとって必然とさえ言われた、レディオヘッドのライヴ体験とほぼ同じ時間に、解散して 30 年以上にもなるバンドのライヴがひっそりとしかし、一握りの熱いファンの前で披露されたのだ。これもまたもう一つの歴史的必然と言うべきか…

長い間のファンとしては、あのライヴ アルバムの冒頭の紹介アナウンス、“ フロム ロスアンジェルス カリフォルニア ザ ドォァーズ!! ” という叫びから、「 ロードハウス ブルーズ 」 の耳慣れたリフがシャッフルのリズムに乗って、レコードと寸分違わぬ音色で鳴り出した瞬間に、全身の毛穴が一気に開いたという感じだった。ぞわぁわぁ~ と

ロビーとレイの紡ぎ出すサウンドは、実にレコードのあの古臭い音色を見事に再現しており、音響技術の長足の進歩にまず感じ入った。技術的には違和感なく、きちんとした演奏がされ、むしろ若さに任せた力技一辺倒だった当時よりも、むしろ上手に肩の力の抜けた今の方が良いのかもしれない。彼らも恐らくは還暦を迎えるおじいさんロッカーなのだから…

元カルトのヴォーカリストであったイアン・アストベリーは、前半ずっとサングラスであったがそれをとった後半のステージでも長くウェーヴした髪型もあいまってジムの雰囲気が良く出ていた。しかし、稀代のカリズマ ジム・モリソンを演じるのは彼にとっては実にストレスなのではないだろうか? どこまで完璧に演じても死者のイメージには勝てないのだから気の毒な話である。
ジムはライヴでは即興の詩を突然に口ずさみ、狂ったようなパフォーマンスを繰り広げたということだが、それを彼に期待するのは酷な要求である。ザ フーのロジャー・ダルトリーばりにブン ブン振り回す関係で、コードのついた旧態然としたマイクを使っていたが、そのせいで「ワイルド チャイルド」のようなくるくる回りながら歌うところ等では、上手い具合にマイクを左右に持ち替えていた。そうしたしぐさも含めて、よく研究しているなと思わせた。

ラストは “ さぁ~ 大阪の夜を燃やし尽くしてやるかナァ… ” とレイのコメントが入ってあの何百回と聞いたオルガンの印象的なフレーズから 「 ライト マイ ファイアー 」 がスタート。ロング ヴァージョンとは言えめちゃくちゃに長い演奏になり、途中からは元に戻れなくなって、レイが演奏を止めて、ギターとドラムスと観客を交互に指刺して演奏を促すパフォーマンスで、なんとか持ちこたえた。これはまずまずご愛嬌ではあるが、ある意味、こうした下手さも含めてドアーズなんだなぁ と ( 苦笑 ) 
アンコールでは、なんと 「 L.A. ウーマン 」 。曲の後半では、イアンがまるでジムがやったように客席になだれ込み、聴衆の頭上をあお向けに運ばれながらも歌い続けるという、往年のジムのパフォーマンスを披露。さすがのレイもロビーも、当時を思い出したのか苦笑いをしていた。その笑顔は、地獄の季節を生き抜いた ’60 年代の強者たちの安息の表情でもあった。

ジムのいないドアーズをドアーズと呼んで良いのか? という今更ながらの疑問は実は大きなお世話であって、ジムが急逝した当時も、ドアーズは 3人でアルバムをさらに2枚発表しているのだ。例えば、ロバート・フリップが仕切っていても、現在のキングクリムゾンは我々の期待しているキングクリムゾンとは似ても似つかぬもので、むしろ、我々の幻想は 21st センチュリー スキゾイド バンドの方にある。ロビー・ロバートスンがいなくてもレヴォン・ヘルムが歌った時点でザ バンドはザ バンドだった。


ないものねだりをしてもしょうがない。この絶望的に濁ったオルガン サウンドと恐ろしく骨太なギター サウンドのコラボレーションが日本で再現されたというだけでも特筆すべきことなのだと思う。

単独での来日公演をぜひ、期待したい。


8/2 インドア ステージ インクテック大阪 4号館 
19:18~20:48
<セット リスト>~うろ覚えです(苦笑)
ロードハウス ブルーズ
ブレイク オン スルー#2
音楽が終ったら
ラヴ ミー トゥー タイムズ
ムーンライト ドライヴ
ワイルド チャイルド
ロビー・クリーガーによるフラメンコ ソロ
~ スパニッシュ キャラヴァン
ファイヴ トゥ ワン
アラバマソング
ハートに灯をつけて
(アンコール)
L.A. ウーマン



1. ブレーク オン スルー
2. ハートに火をつけて
3. ラヴ ミー トゥー タイムズ
4. ハロー アイ ラヴ ユー
5. まぼろしの世界
6. ストレンジ デイズ
7. ライダーズ オン ザ ストーム
8. L.A.ウーマン
9. タッチ ミー
10. ロードハウス ブルース
11. ピース フロッグ
12. ラヴ ストリート
13. 水晶の船
14. ソウル キッチン
15. ラヴ ハー マッドリー
16. バック ドア マン
17. アラバマ ソング
18. 月光のドライヴ
19. 名もなき兵士
20. ジ エンド


「 ハートに火をつけて 」 の全米No.1 から 40年を迎え、デビュー 40周年を記念して制作されたリミックス & デジタル リマスター ベスト アルバムである。聴きどころは、以下、レイ・マンザレク氏のコメントで確認してほしい。

---------------------------
今回のベスト盤では最新のスタジオ技術を駆使して、実際に当時レコーディングした時の音そのものを表現したんだ。ジム・モリソンのバック コーラス、ロビー・クリーガーのギター ソロ、そして僕のピアノの音など、実際に演奏したにもかかわらず、ミックスダウンで消されてしまった音を始めて聴くことができる。伝説のレコーディング セッションのオリジナル音源を堪能してもらいたい。






4 件のコメント:

  1. 長いブログありがとうございます。
    読むのにも少々時間がかかりましたほどに(^∇^)
    でもそれもこういうときしかもうかけないかもしれませんものね。
    2003年当時の写真とか見たい!なんなら老体に鞭打った姿も一緒でもw
    一読者からのリクエストでした!
    亡くなられたことは残念ですが、このように多くの方の心に在りし日の音楽シーンが刻まれることはミュージシャンにとっては幸せなことなのではないかと、勝手にですが、思います。

    返信削除
  2. こんなクソ熱い真夏のフェスに参加するモノ好きは、当時、わしだけで、この日も単独で出かけたため、残念ながらPHOTOはありません。あしからずご了承を。ドアーズの公演がどちらの日になるか分からず、ツーデーズチケットを購入したのですが、ドアーズの出ない方の日は、さすがになかなか出かける決心がつかず、結局 会場に着いたのは2時頃でした。夏フェスなるものに参加したのは、これが最初で最後になりましたね。あらゆる障害を乗り越えてでも、見たい! と思わせてくれるアーティストはドアーズ以外には、ありません。

    返信削除
  3. 何も知らなかった私は、ドアーズを聴いていわし亭部長さんいわく「絶望的に濁ったオルガンサウンド」がかなり耳について離れなかったことがあります。オリジナルメンバーがいなくなったということは、ドアーズを愛するものにとっても、人類にとっても損失です。改めてドアーズを聴きたいと、思いました。
    ただ、いわし亭部長さんがいつも言っている「ロッカーは早死にする」というのにマンザレク氏は当てはまらず、天寿を全うされた。最近は長年活躍されたロッカーがこのように年齢を豊かに重ねていくことは、後の世代にとっては幸いなことだと思っています。マンザレクさん、天国でジムと再会して、音を奏でておられるのかなぁと思います。

    返信削除
  4. そうですね。ジムの盟友であったマンザレク氏がなくなったことにより、ドアーズの伝説も一つの終結を見ました。いわし亭が初めてドアーズを聴いたのは30年以上前でしたから、感慨深いものがあります。その一方で、いわし亭がこだわっている’60~’70年代のアーティストが、いまだに現役で活躍しているのを見るのは何よりも嬉しいですし、わしもまだまだいけるで と勇気や元気をもらえます。’50年代に生まれたロックもしっかり歴史を積み重ねてきたということなのでしょうね。

    返信削除