2013年8月2日金曜日

いわし亭部長とフランシーヌ千里部員の音楽放談 ~ 34年ぶりのデイヴ × ヴァン ヘイレン ついに日本上陸


第13回目 テーマ: ヴァン ヘイレン ~ アメリカンロックのリヴィングレジェンドついに来たる

フランシーヌ千里です。
毎日きびしい暑さが続きますが、みなさま、いかがお過ごしですか?
こんな時こそ! ハードロックを聴き、暑さも、何もかも! 吹き飛ばしてやるぞ! という気持ちです。

さて、いわし亭部長が音楽に目覚めた ’60年、’70年代あたりの音楽の話をする際に、楽器の “ 奏法 ” についてよく話が及びます。今の音楽に大きな影響を与えている “ 奏法 ” は、だいたい ’80年代までに出揃ったとのこと。
世の中にこんなにたくさん音楽があふれている中で、この30年は新しいものが出ていないというのは、私にとって驚きでした。

その中でも “ ライトハンド奏法 ” については、ヴァン ヘイレンのギタリストの影響で、当時のギター愛好者がこぞってまねをした というエピソードを聞き、その影響力のあり方、広がり方などを面白いなあと思っていました。そして何より、当時エドワード・ヴァン=ヘイレンがギターを奏でる様子をいわし亭部長の話からありありとイメージするのでした。


そんな折、出張先の東京でふと目にした “ ヴァン ヘイレン 来日! ” の看板。
タイムリー! ということで、いわし亭部長が参加した久々の大阪ライヴの様子とともに、ライトハンド奏法について聞きました。今回、“ ライトハンド奏法 ” のルーツを改めて調べる中で、その広がり方において、私たちにとって意外な事実がわかりました。

どうぞお聞きください!






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ヴァン ヘイレン 『 1984 』

1. 1984
2. ジャンプ
3. パナマ
4. トップ ジミー
5. ドロップ デッド レッグス
6. ホット フォー ティーチャー
7. ウェイト
8. ガール ゴーン バッド
9. ハウス オブ ペイン








イギリスの作家ジョージ・オーウェルが ’49年に刊行した 『 1984 』 は、全体主義に支配された近未来社会を描いたディストピア小説である。その影響力は広範で、作品発表の当初から、多くの予見的・自覚的な人々によって “ 1984 ”  年という記号は、シンボリックに語られてきた。
例えば、デヴィッド・ボウイは、この作品のミュージカル化を企画し ( 残念ながら頓挫したが ) 、その成果を “ 1984 ” 年の 10 年も前の ’74年 7枚目のアルバム 『 ダイアモンドの犬 』 の中で結実した。
そして、とうとうやって来た 1984 年。その1月に多くのリスナーを呆れさせるタイミングで、ヴァン ヘイレンはそのものズバリ 『 1984 』 と命名した作品をリリースする。この 『 1984 』 により、ヴァン ヘイレンはノー天気なアメリカン バカ ロックの帝王として名実ともに超大物アーティストの仲間入りをする。
このアルバムは、マイケル・ジャクソンの 『 スリラー 』 の長期政権に阻まれ残念ながら、全米最高第2位にとどまったが、シングル カットされた 「 ジャンプ 」 は5週間連続第1位を記録し、ヴァン ヘイレン最大のヒット曲となった。この 「 ジャンプ 」 は、投身自殺の見物人が “ さっさと 飛べ! ” と怒鳴っていた鬼畜なありさまから着想を得て作られたという何ともバチ当りな一曲 ( 笑 ) 
いわし亭は、当時のバンドの勢いをそのまま持ちこんだかのような、ストレートで何の小細工もない、全くカネのかかっていない PV も大好きだった。被写体が魅力的ならば、ステージングを撮影するだけでノー問題! といったお手本のようなこの PV 。エドワードをはじめメンバー全員の笑顔がすこぶるチャーミングで、当時、テレビ朝日の深夜番組で小林克也が VJ を務めた 『 ベスト ヒット USA 』 を熱心に見ては、録画したものである。

ちなみに 「 ジャンプ 」 は、ネオ アコースティック サウンドの中核をなすグループ “ アズテック カメラ ” がカヴァーしており、これまた秀逸な出来です。




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