2014年1月16日木曜日

早川義夫+ 佐久間正英 『 Vacant World 』 レポート 2013年10月7日 @京都 Live House Cafe & Bar SILVER WINGS


そのライヴの存在に気付いた時は、すでに時遅くソールドアウトの告知が出ていた。キャンセル待ちに望みをつないでエントリしていたところ、幸いにも本当にキャンセルが出て、無事、その場に立ち会うことができた。風邪で体調が悪かったが、そんなことを言っている場合ではない。
2013年8月9日、自身の公式サイトにて末期のスキルス胃がんであることを公表した佐久間さんの状態はブログを読んで、良く知っていたし、状況的に見て関西に来れるとは、到底思えなかったから、完全に諦めていたのだが、なんとわざわざ京都まで来てくれたのだ。この千載一遇のチャンスを逃してしまっては、何のために長い間、音楽を聴いてきたのかわからない。

このライヴで二人の長い友情の終わりの瞬間に立ち会えたことは、ロックなるものにこだわってきた一人のリスナーとして、非常に光栄なことだった。この二人が音楽を奏でる空間に居合わせたこと、そのこと自体が奇跡であり、この夜の出来事は何時までも、何か起こる度に反芻することになるのだろう。
もはや、エンドの見えている人~エンドが決まっているのは、あえて言えば誰でも同じなのだが がこれだけ淡々と凛々しく演奏する場に立ち会うというのは、ある意味、潔さを学ぶということでもあり、エンドが見えているからこそ、それに構わず、“ 今やるべきこと やれることに注力すべき ” という佐久間さんの言葉には途轍もない重さがある。
そして、そういう状況にありながら、佐久間さんの奏でる音は信じられない位にレンジの広い、強さと弱さ、大きさと小ささを持っていて、当然、技術的な裏付けがあっての演奏なのだろうけれども、それだけではない何かを伝えるのだ。


「グッバイ」

突然狂いだしては君を泣かせ 何度も飛び出してはドアをたたき
心が離れていかないから 別れることもできなかった
それでも君はうまくいくよと 好き同志ならうまくいくよって

どこまでも優しく どこまでも強く
燃え尽きていくのを じいっと待っていた

いつも いつも
君だけを 思ってた

バイバイ グッバイ バイバイ グッバイ
バイバイ グッバイ バイバイ

胸の焦がれるような最後のリフレイン。このメロディと言葉の強さ

もちろん、セット リストは最初から決められているのだろうけれども、それにしても、厳しい楽曲が選ばれている。
早川さんのライヴは、何度も見ているが、この日の早川さんは別格だった。


「父さんへの手紙」

相も変わらず僕は偏屈なので
人と同じ気持ちになれない

父さんの墓参りにも行かず
ぼんやりと窓を眺めてます

暗い土の中に父さんが
眠っているわけはない
それぞれの心の中さ

逝ってしまった人を早川さんなりの方法で想う。極私的な風景が広がる

死をストレートに歌ったものが続く。早川さんも佐久間さんも敢えてそこに垣根を設けず、むしろ誰彼となく憚られるはずのこの話題に、むしろ積極的に介入していく感じもあって、それでもやはり早川さんは苦しそうに厳しそうに歌っていて、泣いたりすることはないけれども、時にはおかしな間があったりもして、独特な空気感はやはり流れ続けるのだ。


「いつか」

心を立たせろ 虹を立たせろ
言葉を立たせろ 音を立たせろ
足りないのではなくて 何かが多いのだ
愛を歌え 願いを歌え
美しいものは 人を黙らせる

生きてゆく姿が素敵なんだ 佐久間正英

歌詞を変えて、佐久間さんにエールを送る早川さん。客席からは、思わず拍手が起こる


19時半から始まったライヴは一時間の演奏後、一度休憩をはさんで、さらに一時間、アンコールを二回こなす頃にはもはや三時間を超える大ロングランになった。佐久間さんも肉体的にかなり大変だったのでは と思えて、さすがにアンコールはないだろうと、拍手をするのも控えていたが、これにも二度も応えてくれたのだ。それは、もはや限界を超えてなお、もうここにはいないであろう未来の自分を想像するとやらずにはいられなかった気持ちを強く感じさせた。

アンコールでは、この一曲のために東京からみえたドラマーの屋敷豪太さんが参加。ジャジーな演奏となり、力石さんという女性ピアニストの即興はメロディをバリエイションして見事なものだった。すっかり湿っぽい雰囲気だったライヴ ハウスは、突如、祝祭の空間へと脱皮したのだ。このマジカルな転換こそ音楽だ。


「H」 

君のベッドと 僕のベッドを
支えているのは ふたりの孤独
君のあそこは 僕のものだよ 
いやらしさは 美しさ

もともとブルーズ的なメロディと良く跳ねるリズムを持った曲なので、インプロヴィゼーションを含んだこういうジャムにものすごく向いている。定型の部分と即興の部分が見事に絡み合って絶妙の展開を見せる。


音楽はやはり奇跡の連続であると思う。そうあるべきなのだ。
こうしたマジカルな瞬間を実現するために、音楽家は命を削ってまで演奏の場に立つのだが、ほとんどすべてのミュージシャンは、こうした地平にたどり着けずに妥協する。真剣な話、音楽に土下座しろ と言う気持ちになる。
命を的にしてまで音楽をやる必要はないと思うが、それにしてもお手軽でお気楽な消耗品としての音楽が巷には溢れすぎている。そういう状況に慣らされている自分自身にとっても、この夜は原点回帰の一晩だった。音楽とは音を楽しむものではない。早川さんの歌に “ 音楽がめざしているものは音楽ではない ” という一節があるが、この夜奏でられたそれは、この歌詞そのものの何かだった。

熱狂的な拍手、思わずあげる嬌声、熱い涙、賞賛の念、深い感嘆… その全てをもってしても追いつけない何かが、この夜、この場で奏でられたのだ。


「音楽」

声を出さなくとも 歌は歌える
音のないところに 音は降りてくる
ぽっかり浮かんだ丸い月 あなたの笑顔
存在そのものが 音楽を奏でる

歌を歌うのが 歌だとは限らない
感動する心が 音楽なんだ
勇気をもらう一言 汚れを落とす涙
日常で歌うことが 何よりもステキ

言葉は自分の心を映し出すもの
何を語っても叫んでも鏡に映るだけ
本当に素晴らしいものは解説を拒絶する
音楽がめざしているのは音楽ではない

僕は何をするために 生まれて来たのだろう
何度も落ち込みながらも 僕は僕になってゆく
夜空に放つ大きな花 身体に響く音楽
何の野心もなく 終りに向かって歩く



『 この世で一番キレイなもの 』

1. この世で一番キレイなもの
2. 君のために
3. 君に会いたい
4. お前はひな菊
5. H
6. サルビアの花
7. 雪
8. 桜
9. 赤色のワンピース
10. いつか

※ 信じられないことに、簡単に手に入る早川さんのアルバムは、これしかない。日本のレコード会社は、もう少し真面目に仕事をしてもらいたい



『 ひまわりの花 』
1. 身体と歌だけの関係(4/4)
2. 堕天使ロック
3. 風月堂
4. 屋上
5. 『 愛人 ( ラマン ) 』 のように
6. ラヴ・ゼネレーション
7. 花火
8. いい娘だね
9. あと何日
10. ひまわりの花
11. 身体と歌だけの関係(6/8)
12. 僕らはひとり


1994年製作の佐久間正英・早川義夫の記念すべき初タッグ作品。ありえないことだが、現在、入手困難。当時のエピソードについては、以下のインタヴューで語られている。

【月刊BARKS 佐久間正英 前進し続ける音楽家の軌跡~プロデューサー編 Vol.4】
90年代のプロデュースその2~早川義夫、エレカシ、くるり


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ORICONSTYLE による東京・渋谷 Last Waltz 『 Hello World 』 2013/9/19 レポート 
NEXUSによる東京・渋谷 CLUB QUATTRO 『 The beautiful world 』 2013/9/29 レポート


【名プロデューサー】佐久間正英の仕事ぶりがスゴイ


1 月21 日追記


佐久間正英さんが永眠されました。ここに謹んで哀悼の意を表するとともに、心からご冥福をお祈りいたします。
このブログをアップした時、すでに佐久間さんはこの世にいらっしゃらなかったのですね。遅れ遅れになっていたこの記事を何とかアップできたのは、虫の知らせだったのでしょうか…
2007 年9 月には女性バイオリニスト HONZI さんを見送り、今また盟友 佐久間さんを失った早川さん。その心中はいかばかりでしょう。しばらくは、ゆっくり休養してほしいと思います。

早川義夫 公式ツイッター ~ 1月21日 ( 火 ) から
1 月16 日 午前2 時27 分、佐久間正英は永眠しました。葬儀は彼の意思を尊重し親族で密葬をすませました。よって、1 月22 日 ( 水 ) に行われる予定だった、渋谷ラストワルツの公演は、残念ながら中止せざるを得なくなりました。ご予約いただいたお客様、大変申し訳ありません。深くお詫びいたします。

早川義夫 公式サイト


『 I LOVE HONZI 』

1. サルビアの花
2. からっぽの世界
3. 君でなくちゃだめさ
4. パパ
5. 僕らはひとり
6. 猫のミータン
7. 暮らし
8. 父さんへの手紙
9. 恋に恋して
10. I LOVE HONZI






佐久間正英の息子の音哉です。

悲しいお知らせをしなくてはならなくなりました。
1 月16 日2 時27 分、佐久間正英は永眠しました。
父は2013 年4 月にスキルス胃癌と診断され、音楽をまた作りたいという強い心で 10 ヶ月に渡る闘病生活を送ってまいりましたが、15 日夜に容態が急変し、そのまま静かに息を引き取りました。享年六十一でした。
尚、葬儀は父の意思に従いまして、勝手ながら本日近親者のみでの密葬にて執り行いました。
父の快復を祈り待ち続けてくださったファンの皆様、父と共に音楽を作ってくださったミュージシャン、スタッフの皆様、父のことを愛してくださった全ての皆様に、本人に代わり心より感謝いたします。ありがとうございました。
とても強く、楽しく、かわいらしい父でした。

平成26 年1 月20 日
佐久間音哉


乃木坂46 生田絵梨花 ( 佐久間さんは彼女のおとうさんのいとこ ) 

物心ついたときから、いつか佐久間さんと音楽ができたらなと願っていて、こうして佐久間さんと共演できたことは奇跡のようでした。
一緒に過ごした時間は短かったけれど、私の人生にとって本当に大きなものです。
佐久間さんはもういないけれど、思い出と作品はずっと生き続けます。
残してもらった宝物を一生大切にして、忘れません。
幸せでした。


1 月29 日追記

早川さんが 1/27 ( 月 ) 朝日新聞夕刊に 「 佐久間正英さんを悼む 」 ( 構成・神庭亮介 )を寄稿されています 。













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