2014年3月21日金曜日

ワイルドサイドを歩け~追悼 ルー・リード 




Photo: Theo Wargo/Getty Images
10月3日 ニューヨークにて撮影
ルー・リード、逝去。享年71歳
2013.10.28 RO69 ( アールオーロック ) 

ルー・リードが10月27日に亡くなった。71歳だった。詳しい死因は明らかにされていないが、リードは長年肝臓の病気を患い、今年5月には肝臓移植手術も受けていた。


また、リードの妻のローリー・アンダーソンは今年6月に 「 The Times 」 誌の取材に対し、リードの健康状態が深刻な状態にあることを明かしていた。


ルー・リードは1964年にザ ヴェルヴェット アンダーグラウンドを結成し、『 ヴェルヴェット アンダーグラウンド アンド ニコ 』、『 ホワイト ライト/ホワイト ヒート 』、『 ヴェルヴェット アンダーグラウンド ( Ⅲ ) 』、『 ローデッド 』 の4枚のオリジナル・アルバムをリリース、後のロック シーンに多大なる影響を与えた。


1970年にバンドを脱退した以降はソロ アーティストとして活躍し、1972年のソロ デビュー作 『 ロックの幻想 』 以降20作のスタジオ アルバムをリリースした。2011年にはメタリカとのコラボレーション アルバム 『 ルル 』 も発表した。


ルー・リードが書いた最も有名な曲の中には “ Walk On The Wild Side ” や “ Perfect Day ” といったナンバーがあり、多くのアーティストによって繰り返しカヴァーされている。 



ジョン・ケイル、ルー・リードへの追悼メッセージを発表
モリッシー、ルー・リードへの追悼文をファンサイトに掲載
ジョン・ケイル、デヴィッド・ボウイ、モリッシーら、多数のミュージシャンがルー・リードを追悼
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“ ’70 年代のロックは、ヴェルヴェット アンダーグラウンドの精神とイギー・ポップの肉体によって出来上がっている ”


かつていわし亭が読んだ最も説得力かつインパクトのあった文章の一つである。まったくもって納得の名言なのだが、今、ネットで検索してもこの言葉は出てこないから、誰かのエッセイか何かで読んだのだろう。

ロック史を紐解く時、良きにつけ悪しきにつけ、必ず登場するバンドがこのヴェルヴェット アンダーグラウンドだ。ヴェルヴェット アンダーグラウンドは、“ ローリング ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な 100組のアーティスト ” において第 19位。ルー・リード自身は “ ローリング ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な 100人のシンガー ” において第 62位。’67年発表のデビュー アルバム 『 ヴェルヴェット アンダーグラウンド & ニコ 』 は 『 ローリング ストーン 』 誌が選んだ “ オールタイム グレイテスト アルバム500 ” で13位。


同業者であるミュージシャンから最大級のリスペクトを集めるミュージシャンズミュージシャンと言ってもいいルー・リード。
彼はシラキューズ大学でジャーナリズムと詩を専攻し、ビートニク タイプの詩人デルモア・シュワルツのゼミで、T.S.エリオットやジェイムズ・ジョイス、リルケ、イエーツらの詩人に学んでいる。後の内省的な作風のルーツはこの辺りにありそうだ。
’63 年、大学を中退したリードはニューヨークに移り、職業ソング ライターとしてのキャリアをスタートさせたが、それは決して恵まれたものではなかった。翌年、現代音楽の勉強のためにアメリカにやって来た英国ウェールズ出身のジョン・ケイルと出会う。この出会いこそ、ルー・リードが亡くなるまで続く長い愛憎劇の始まりであり、そこから引き起こされた前代未聞の化学反応こそがヴェルヴェット アンダーグラウンドという特殊なロック バンドの母胎となる。

ヴェルヴェット アンダーグラウンドは自身が取り上げたテーマの反社会性に較べ、参加したメンバーが意外にも長命であり、ルー・リード 71歳での逝去はむしろ大往生ではないかと感じる。現在すでに彼岸に旅立っているのは、ギター、ベース、コーラスを担当したスターリング・モリソン ( Sterling Morrison ’42年 8月 28日 - ’95年 8月 30日 非ホジキンリンパ腫により53歳で死去 )。 彼はルー・リード、ジョン・ケイルと共に結成時より参加し、’71年脱退。そしてニコ ( NICO ’38年 10月 16日 - ’88年 7月 18日)。歌手、女優、ファッションモデルであった彼女の本名はクリスタ・ペーフゲン ( Christa Päffgen )。『 Q誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー 』 において第80位。その歌声は下水管が立てる音を思わせるとの評価がある。

追悼声明を発表したジョン・ケイル ( John Cale ’42年3月9日 - ) は、ヴィオラ、ヴァイオリン、ギター、ベース、ボーカル、作曲を担当した。アヴァンギャルドへの嗜好性はルー・リードよりも顕著で、ヴェルヴェット アンダーグラウンドの特異な音楽性は彼のイニシアティヴによるものが大きい。’68年リードとの対立から脱退し、以降はソロとして活動する。彼は脱退後、イギー・ポップ アンド ザ ストゥージズのデビュー アルバムをプロデュースすることになるのだから、何とも面白い巡りあわせではある。
モーリン・タッカー ( Maureen Tucker ’44年8月26日 - )  ドラムス、コーラス。メンバー唯一の女性であるが、性差が全く読み取れないそのルックスは、バンドに非常に不可解な印象を与えた。アフリカン ドラムへの興味から、ノーマルなドラム セットやスティック、キック ペダル、さらにシンバルさえもほとんど使用しない独特のドラミング スタイルを確立した。このユニークなドラミングが、ヴェルヴェット アンダーグラウンドに与えたある種、エスニックなあるいは邪教的な印象は、このバンドのイメージに寄り添うものだ。
こうして、見ると実はヴェルヴェット アンダーグラウンドは、ルー・リードに留まらず、意外や意外、相当にユニークなミュージシャンの集合体であったことが理解できる。

アンディ・ウォホールが意図した音楽・映像・ダンス・ハプニング・アヴァンギャルド・電気・照明・聴衆といったノー ボーダーなアートのマルチメディア イベント “ エクスプローディング プラスティック イネヴィタブル ” での演奏をきっかけに、ヴェルヴェット アンダーグラウンドの周辺には様々なタイプの人間が集まり、このバンドは彼らにとっての実験場のような性格を有していった。
デビュー アルバムが多くの人々の介在を許しながらも、特殊な音楽性と危うい前衛性が抜群のバランスの上でかろうじて留まっていたのは、やはりルー・リードのセンスの賜物だろう。

 

ロックに興味のない人でも、一度は目にしたことがあるはずのもはやアイコンと化したアートワーク。いわし亭がアナログ時代に購入したジャケットでは、バナナがステッカーになっており、←ゆっくりめくって、見ろ と印字され、で、本気にしてこのバナナの皮をめくると、赤紫色の実が出てくるという秀逸なアイディア ( 現在の CDジャケットではどうなっているのだろうか? ) は、正にアンディ・ウォホールそのものだ。実際には、ヴェルヴェット アンダーグラウンドにとって、アンディ・ウォホールという鳴り物入りの惹句こそが後々まで足枷になっていくのだろうけれども…
加えて、道端に落ちていたペーパーバックのSM小説のタイトルから命名されたバンド名通り、「 毛皮のヴィーナス 」 ( レーオポルト・フォン・ザッハー = マゾッホのマゾヒズム小説のタイトル ) であったり、 「 僕は待ち人 」 ( 僕とはドラッグの売人または男娼のこと ) であったり、そのものずばりの 「 ヘロイン 」 など、このデビュー アルバムには麻薬中毒、妄想、性的逸脱行為など、当時タブーとされていたテーマが多数取り上げられていた。
ロックを聴いていく上で、ノーマルなテイストではなく、異常なものに好奇心をそそられるといった下世話な感覚において、ヴェルヴェット アンダーグラウンドという呼称は、十分過ぎる説得力を持っていたと言える。

ヴェルヴェット アンダーグラウンドは商業的な成功には恵まれなかったとされているが、結果として21世紀の今日までに、デビュー アルバムを 40万枚 ( 発表から 20年後の 1988年時点 アメリカ国内に限る ) 売っている。

様々な人々の思惑を反映したデビュー アルバムに対し、ルー・リードとジョン・ケイルのむきだしの軋轢は、ヴェルヴェット アンダーグラウンドの孤高のスタンスをさらに極めたかのようなノイズ ミュージックの元祖ともいえる騒音に満たされたセカンド アルバム 『 ホワイト ライト ホワイト ヒート 』 に結実した。アルバムのラストに配置された 「 シスター レイ 」 はほとんど何を歌っているのか分らない混沌としたノイズを延々 17分にわたって無反省に放射し続ける。
ジョイ ディヴィジョンは、ライヴでこの曲を定番として演奏おり、イアン・カーティスが亡くなった後、まとめられたアーカイヴ的な二枚組アルバム 『 Still 』 のライヴ盤にも収録されている。またジギー・スターダスト時代のデヴィッド・ボウイも 「 ホワイト ライト ホワイト ヒート 」 をカヴァーした映像を残している。

一般に喧伝されるヴェルヴェット アンダーグラウンドのイメージはこの 二枚に集約されており、ジョン・ケイル脱退後の 『 ヴェルヴェット アンダーグラウンド 』 (いわゆる 『 Ⅲ 』 )、そして最後のアルバム 『 ローデッド 』 では、ルー・リードの内省的なサウンドがフィーチュアされ、音楽的にもメロディアスで豊饒なものへと変化した。 『 ローデッド 』 に至っては、後のルー・リードのライヴでも定番になっている 「 スウィート ジェーン 」 や 「 ロックンロール 」 などが収録されており、もはや彼のソロ アルバムに近いニュアンスになっている。

ロックの歌詞が、見てはならない精神の暗黒面を炙り出し、矛盾に満ちた社会の裏側を描き、隠花性植物のように地下世界に蠢く住人たちを活写する時、その歌詞は単なるロックの無意味な絶叫をはるかに飛び越えて、高い芸術性を獲得したのだ。これは、米国の文学史的な脈絡の中で語られる詩人としてのボブ・ディランあるいはジム・モリソンに勝るとも劣らない事件であり、それはロックを文学作品として、鑑賞に堪えうるもの、論ずるに足るものへと昇華したのだ。
だからこそ、訳詞にはもう少し配慮すべきなのだが、現在、レコード会社が用意したそれは、あまりにもお粗末である。例えば、村上龍や遠藤ミチロウ、伊藤比呂美、大槻ケンジらがニュアンスとオマージュで試みた新しい表現としてのロックの訳詞はその意味で重要だ。
思潮社からロック オリジナル訳詞集として 『 水晶の扉 ( ドア ) の向こうへ 』 『 魔法の鏡のなかへ 』 『 僕にはこう聴こえる 』 の三冊が上梓されている。ところがこの三冊は、ルー・リード ( あるいはヴェルヴェット アンダーグラウンド ) を扱っていないから、やはり相当手強いのだろう。

ヴェルヴェット アンダーグラウンドの評価は今日に至るまで、高まり続けている。しかしルー・リードにとって、ヴェルヴェット アンダーグラウンドのフロントマンであった5年足らずの期間は、その長いキャリアの一部でしかない。ルー・リードはヴェルヴェット アンダーグラウンドが解散した後も、バンドが対象化したテーマを重視し、その精神はルー・リードの中に受け継がれ、生き続けた。しかしルー・リードはそこからさらに歩みを進め、その表現領域はニューヨークという言葉に収斂される様々なモーメントへと拡大していった。ニューヨークこそ、あらゆる表現芸術のメルティング ポットであり、ロックそのものの具象であったとも言え、それを見据えたルー・リード自身もまた強靭な胃袋で様々な素材を消化していった。

ルー・リードの魅力は、こうしたあらゆるタイプの音楽に柔軟に対応できるキャパシティの大きさにある。その証拠に、ルー・リードの事実上のラスト アルバムは、2011 年に発表されたヘヴィ メタルの雄 (!) メタリカとの共演盤 『 LULU 』 なのだ。
ルー・リードがなぜ、ミュージシャンズミュージシャンなのか。その答の一つがここにある。


いわし亭がルー・リード作品で括目したのは、当時、誰も追いつけなかった、今現在ならノイズ ミュージックの金字塔として容易にカテゴライズされるであろう 『 METAL MACHINE MUSIC 』 である。原題も意味深だが、邦訳タイトル 『 無限大の幻覚 』 もなかなかのセンスである。この作品、後にルー・リード自身 “ 洒落だった ” と弁解するに至って、大きくスカされた感満載なのだが、それにしても彼のギターとの格闘を収めたこのアルバム、意外や意外、面白いのだ。
現在ではシンセサイザーやコンピュータのループで大した労力をかけず、宅録レベルでお手軽スロービングって感じで、正に無限にノイズを垂れ流すことが可能だが、当時、この人智を遙かに越えた重労働をルー・リードは、ギターのフィードバックを駆使することで根気強く行っている。いくら、彼自身が “ 洒落 ” の一言で済まそうとも、音そのものは屹立して、その存在感を主張しているのだから、何とも始末が悪い。
ヴェルヴェット アンダーグラウンド自体、フィードバック ノイズに満たされた作品を量産しており(
セカンド アルバム 『 ホワイト ライト ホワイト ヒート 』 )、これもその派生作品の一つと考えることも可能だ。ところが、こうした前衛的なサウンド デザインは主にジョン・ケイルが担っていたと考えられていたから、ルー・リードのファンにしてみれば相当なショックだったろう。


そもそも、ソング ライターとしてメジャーな位置にいたルー・リードが ’60年代まで米国二大レコード会社の一角であった RCA レコードからこうしたアルバムを発表したこと、それ自体のインパクトが物凄かった。当然のことながら、ギター ノイズに埋め尽くされたアナログ LP 2枚組 片面すべてを使って収録された全4曲の作品は全く理解されなかった。もちろん、リリース即廃盤 ( 笑 ) の憂き目にあい、’75 年当時は逆に相当なプレミアムが付いてしまうという皮肉な扱いがされていたのだ。
いずれにしても、好き × 嫌い といった単純な二元的評価を越えた超問題作である。


いわし亭がルー・リードに対して最も評価しているのはルー・リードの声質とその独特な歌唱法だ。現代であれば、ラッパーとしても通用しそうなその歌唱法は、実にユニークであり、同時にその喉は、ジム・クロウチを思わせる。まるで、カントリー&ウエスタン出身の歌手を思わせる渋さである。
甲斐バンドの 「 新宿 」 が 「 ワイルドサイドを歩け 」 と酷似していることは、誰の耳にも明らかなのだが、これは
むしろパンク ロックやオルタナティヴ ロックの開祖のように言われているアーティストが、実はその音楽性において相当にポップな側面も持っていたという証左に他ならない。

メロディの起伏に乏しくアレンジも極めてシンプルな 「 ワイルドサイドを歩け 」 があれほどに魅力的な楽曲に仕上がっているのは、ルー・リードの声質の魅力によるところが大きい。

いわし亭が唯一、見ることが適ったルー・リードのステージは ’90年 7月 30日 大阪フェスティバルホール。二階から見下ろすように恐ろしく遠いステージを恨めしく眺めたライヴであった ( フェスティバル ホールのこの縦長の構造は相当な問題で、どこから見てもステージが遠い。何とかならんのか ) 。ヴェルヴェット アンダーグラウンドのオリジナル メンバーであったモーリン・タッカーが、パーカッション ~ ドラムというイメージには程遠かった を担当しており、いわゆるヴェルヴェット アンダーグラウンド テイストの垣間見える瞬間が何度もあった。

’90年7月30日 大阪フェスティバルホール  セットリスト

01. Romeo Had Juliette
02. Halloween Parade
03. Dirty Blvd.
04. There Is No Time
05. Last Great American Whale
06. Beginning OF A Great Adventure
07. Busload OF Faith
08. Xmas In February
09. Strawman
10. Dime Store Mystery
11. Doin‘ The Things That We Want To
12. One FOR My Baby, One More FOR The Road
13. I Love You, Suzanne
14. Tell It To Your Heart
15.  Nobody But You
16. Street Hassle
17. Video Violence
18. The Original Wrapper
19. Walk On The Wild Side

-アンコール-
20. Sweet Jane


『 New York 』で 2曲の客演があるとはいえ、’80 年代をほぼ主婦として過ごしていたモーリン・タッカー。しかし、本当に大丈夫なのか ( 笑 ) との不安はあっさりスキップされ、彼女のアフリカン ドラムとルーのギターの絡みに、ヴェルヴェット アンダーグラウンド マジックが現出し、オリジナル メンバーを二人も見れたという精神的な満足感も伴って、それはそれは、幸せな瞬間であった。 7月 27日の NHK ホールでは、“ クソババアー ! ” という心温まる野次 ( 笑 ) が飛んだという。

それにしてもと思うのだ。
ルー・リードの訃報に接する約一週間前、タワーレコードの販促キャンペーンで彼の旧譜が物凄く買いやすい状態になっており、それを見て以来、何故かずっと 「 ワイルドサイドを歩け 」 を鼻歌で口ずさんでいて、いわし亭の中でルー・リードのリピート率は異常に高かったのだ。虫の知らせと言うわけでもないのだろうが、今さらながらとても奇妙な感覚に陥る。

ルー・リードへの追悼の言葉に、“ 日曜日の朝 ” というフレーズが多くみられるのは、当然のことながら彼の亡くなったタイミングが日曜日の朝だったからで、ヴェルヴェット アンダーグラウンドのデビュー アルバムの一曲目に因んだものだ。本来、楽しかりしハズの日曜日の朝を

♪ 日曜日の朝
   すぐ後ろに

   浪費された年月がある ♪

と歌い始める自虐的な歌詞。ところが、そのメロディたるや、おそろしく甘美なのだ。実は、ヴェルヴェット アンダーグラウンドに対して、いわし亭が他の多くのリスナーほど退廃的なにおいをかぎつけていないことには、英語が良く分かっていない という事情が大いにある。メロディと印象的なフレーズだけでこのアルバムを聴いてきたいわし亭の歴史の中では、ヴェルヴェット アンダーグラウンドについて、喧伝されるイメージに程遠い印象が醸し出されて来たのもまた事実なのである。


ヴォーカロイドの初音ミクが、日本が世界に誇るキング オブ ノイズ~非常階段とコラボレーションした初音階段のアルバムで 「 サンデー モーニング 」 「 宿命の女 」を歌っている。ゼロ年代に入ってもはや10年以上が過ぎたにもかかわらず、’67年に発表された楽曲が今風の化粧直しを施されて見事に蘇っている。如何に楽曲の力が強いか ということだろうと思う。
もし、ルー・リードが今も元気に活動していたら、ルー自身が初音ミクとの共演を望んだのではないか と想像すると、また様々な展開が見えてくるようで、残念にもほどがある。



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 2013.10.28 
ルー・リードの急死にボウイ、ストロークスのジュリアンら多数のミュージシャンが追悼


10 月27 日に他界したルー・リードについて多数のミュージシャンが哀悼の意を表している。ルー・リードの死因などについてはまだ明らかにされていないが、ルーは今年の 5月に肝臓移植手術を受けていたことが伝えられていた。享年 71歳だった。

ミュージシャンからの追悼のコメントは以下の通り。


デヴィッド・ボウイ
R.I.P.( 安らかに眠れ ) ルー・リード。彼は師だった。( ルーとデヴィッド・ボウイのツー・ショット写真 

ジュリアン・カサブランカス
ぼくのやっていることすべてについて、なぜやっているのか、その理由がルー・リードだ

ジョン・ケイル
世界は優れたソング ライターにして詩人を失った。ぼくは学校時代のダチを失ったよ

ベック
「 日曜の朝 」 ( ベックのザ レコード クラブによる 「 日曜の朝 」 のカヴァーの動画 

ザ フー
R.I.P.ルー・リード。これからは穏やかなサイドを歩け

カール・バラー
さようならルー・リード。あなたには力をもらい、自分が弱い時の支えになってもらった

ピクシーズ
R.I.P.ルー・リード… 伝説の人

ネイサン・フォロウィル ( キングス オブ レオン )
R.I.P.ルー・リード

ジェラルド・ウェイ
R.I.P.ルー・リード

リー・ラナルド ( ソニック ユース )
R.I.P.ルー・リード。かけがえのない人だった

サブ ポップ レコード
「 日曜の朝 」 の嘆き。あまりにも惜しい。ルー・リード

ナイル・ロジャース
ルー・リード R.I.P.。去年、ジュールズ・ホランドのテレビ番組で共演して大笑いしたのに。病気だったとは知らなかったよ…

ウィーザー
R.I.P. ルー・リード。ヴェルヴェット アンダーグラウンドはウィーザーが結成した頃、大きな影響となって、リック・オケイセックにはその稀有な友情について聞かされたもんだったよ

パトリック・カーニー(ザ ブラック キーズ)
R.I.P. ルー・リード

アーヴィング・ウェルシュ
ルー・リードの訃報が悲しい。あれほどのスターが。R.I.P. ルー、映画 『 トレイン スポッティング 』 に 「 パーフェクト デイ 」 を使わせてくれてありがとう

トム・モレロ
ぼくをルー・リードとヴェルヴェット アンダーグラウンドに紹介してくれたのは、ジェーンズ アディクションのカヴァーだった。孤高の独特な才能だった。ルー・リード R.I.P.、そしてありがとう

ポール・エプワース
R.I.P. ルー・リード。たいした遺産を残したね。音楽のすべてとあなたが触発した人たちの音楽を含めてありがとう






『 NEW YORK 』

  01. ロミオ ハド ジュリエット
  02. ハロウィーン パレード
  03. ダーティ ブルヴァード
  04. エンドレス サイクル
  05. ゼア イズ ノー タイム
  06. ラスト グレイト アメリカン ホエール
  07. グレイト アドヴェンチャーのはじまり
  08. バスいっぱいの運命
  09. シック オブ ユー
  10. ホールド オン
  11. グッド イーヴニング ミスター ワルトハイム
  12. 二月にクリスマス
  13. ストローマン
  14. ダイム ストア ミステリー




ギター2本 ベース ドラム というシンプルな編成に立ち戻りながら、恐るべき求心力でリスナーをとらえて離さないルー・リード面目躍如の一枚。









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