2015年10月23日金曜日

放送要注意歌謡


何かと言うとすぐに判で押したような訳知り顔で “ 放送禁止 ” という単語が飛び交うが、実は今日、 “ 放送禁止 ” とは “ 放送自粛 ” のことに他ならない。いわし亭は結果から遡って、故意・過失とも “ 放送事故 ” という言い方の方が妥当ではないかと考えている。
そもそも “ 放送禁止歌 ” という呼称自体、誤りである。オン エアの可否を審査し、その結果を強制的に執行する団体は、実は最初から存在しなかった。一般的には民報連 ( 日本民間放送連盟 ) がそれにあたると考えられているが、彼らは “ 要注意歌謡曲 ” を選定しただけで、放送についての最終的な決定は、放送する側に委ねられている。

山平和彦 「 放送禁止歌 」 なぎらけんいち 「 悲惨な戦い 」 高田渡 ( たかだわたる ) 「 自衛隊に入ろう 」 三上寛 「 夢は夜ひらく 」 頭脳警察 「 銃をとれ 」 ジャックス 「 からっぽの世界 」 美輪明宏 「 ヨイトマケの唄 」 等々いわゆる “ 放送禁止歌 ” は、実は全て “ 要注意歌謡曲 ” である。民報連の規程には、絶対に放送してはいけない とは、どこにも書かれていない。
それは放送禁止あるいは差別用語、あるいは問題発言という記号を貼り付けることで、そこから引き起こされる煩わしい問題を回避するために、放送する側が設けた安全基準であり、安易であざとい知恵だった。スピードこそが信条の放送界にあっては効率こそすべて。煩わしい問題で時間を取られることこそ、最大のデメリットである。一過性に消費される番組にそこまでの時間をかけてはいられないということか。

言葉 = 表現に関わっていく人間は誰でも、常に問題意識を喚起し、しぶとく発言を繰り返し続け、そこから起こる様々な軋轢をすべて引き受けて行くだけの自覚と覚悟が必要だ。それは業のようなものである。

はっぴいえんどをバックに歌う岡林信康は、まるでザ バンドをバックに歌ったボブ・ディランのようだったが、実際にはそのディランに影響を与えたウディ・ガスリーの方がしっくりくる。労働問題などを現場から現場の言葉でリアル タイムに歌ったガスリーは、ギター一本で表現可能なフォークの持つ機動性を実証したが、一時代の岡林は正にガスリーのように、現場からしぶとく音や言葉を発し続けた。それは神様といった安易な単語を冠して記号化するしか能のない評論家の空虚さとは全く無関係に、正に血を吐くように言葉を紡いだ凄みを感じさせるものである。

同和問題を扱った岡林信康の 「 手紙 」 を聴いた時の衝撃は今でもハッキリ覚えている。当時、中古シングル盤を集めることに腐心していたいわし亭は、地元の行きつけの店 ( なんとこの店は昔、URC* の代理店だった ) で 「 手紙 」 を掘り出し、いわゆるお宝発見と小躍りした。特に内容を確認するわけでもなく、岡林信康の URC 時代のシングル盤という希少性に惹かれてすぐさま購入したのである。帰宅して特に歌詞カードを見るでもなく早速、針を落した筆者は、最初 “ なんだ、失恋の歌か。暗いナァ… ” と思って聴いていた。しかし、3 コーラス目のフレーズに打ちのめされるのにさほどの時間はかからなかった。

音楽のインパクトは物理的な質量や時間的な蓄積を瞬間的に飛び越えてしまう。シンプルな演奏とやさしいメロディ ライン、切々と訴えるような唄が紡ぎ出した残酷な事実。岡林信康の 「 手紙 」 は筆者にとっては終身的なトラウマになりえた。3 分弱のシングル盤にこめられた思いは、一気呵成に差別の本質を理解させたのである。その後も多くの知識を得、また書物にも当ったけれど、あれほどの衝撃をもってねじ伏せられたことはなかった。

上がオリジナルリリース シングル、下がその後、
一般発売された復刻盤で、いわし亭が発見した
は、下の方のジャケット
『 手紙 』
作詞/作曲 : 岡林信康 

わたしの好きな みつるさんは
おじいさんから お店をもらい
二人一緒に 暮らすんだと
うれしそうに 話してたけど
私と一緒に なるのだったら
お店をゆずらないと 言われたの
お店をゆずらないと 言われたの

私は彼の 幸せのため
身を引こうと 思ってます
二人一緒に なれないのなら
死のうとまで 彼は言った
だから全てを あげたこと
くやんではいない 別れても
くやんではいない 別れても

もしも差別が なかったら
好きな人と お店が持てた
部落に生まれた そのことの
どこが悪い なにがちがう
暗い手紙に なりました
だけど私は 書きたかった
だけど私は 書きたかった

● 一説によれば、この歌詞は自殺した女性の遺書をもとに書き起こされたということである。歴史の裏側では、実際にこのような出来事が、何度も何度も無反省に繰り返されてきたのだろう。我々はまず、その事実を知ることから始めなければならない。なお、岡林信康は現在、この作品に関する一切のコメントを差し控えている。

岡林信康 『 わたしを断罪せよ 』

 1. 今日をこえて
 2. ランブリングボーイ
 3. モズが枯木で
 4. お父帰れや
 5. 山谷ブルース
 6. カム・トゥ・マイ・ベッド・サイド
 7. 手紙
 8. 戦争の親玉
 9. それで自由になったのかい
10. 友よ







言葉は発する側と受け取る側との間に認識のズレがあった場合、由々しき問題になりやすい。言葉が時代によって変遷していく以上、話された当初、全く差別的なニュアンスを含まなかったものが、差別的意味や意図を伴って使用され、その結果、差別的な言葉へと変容する経緯は十分ありうる。例えば、“ おまえ ” や “ きさま ” という呼称は、漢字で書くと “ 御前 ” であり “ 貴様 ” のはずだが、今日、この言葉を良い意味で使うことは稀である。

“ 支那 ” ( この言葉、なんと一発変換できない… ) という言葉についても同様のことが言えるだろう。支那や英語の 「 China 」 は古代中国の国号 「 秦 」 のフランス語発音が語源となっている。それだけのことで、そこに差別的なニュアンスを嗅ぎ取るのは、古い日本人だけだ。現代においては言葉の使い方が全く変わっているにも関わらず、古い差別意識を掘り起こすのは大きなお世話と言うものだろう。差別について意識的で自覚的で啓蒙的なフリをしながら、結局、差別そのものを未来永劫保存しようとする過敏な反応とは、こうした固陋な人々の古い記憶なのだ。渡辺ハマ子の 「 支那の夜 」 が “ 放送禁止歌 ” だという誤解はいまだに解かれていない。ラーメンの上に乗っかっているのは “ シナチク ” ではなく現在では “ メンマ ” と呼ぶそうだ。では、東シナ海は? 

“ 第1詩集で、< 支那そば > って言葉を使ったら年輩の詩人から叱責を受けたことがあります。それは差別語なのだ、そんなことも知らないとは詩人として適格でないというような意味の叱責でした ”

先述したように故意であろうと過失であろうと、言葉は言葉でしかない。問題はそれをとりまく意識である。差別用語だから使ってはいけないのではなく、表現として的確でないと判断すれば、使わなければいいだけのことである。どこまで行っても主体は、表現する側にあるのであって、差別用語という記号を見て、オートマティックに表現を放棄することの方が詩人としては失格だと思う。
ただ表現に関わっていくものとして、表現における敵の実態を詳細に知っておく必要はあるだろう。何が差別用語とされているのか? ということくらいは。そしてそこに表現に対する確固たる覚悟がある限り、詩人は未必の故意* をバンバンやるべきなのだ。

例えば、“ 大きい ” とか “ 小さい ” とか書くだけでも、書き手の意図でそこに悪意をこめることは十分可能だ。同じ意味でも “ ノッポ ” とか “ チビ ” と書けば、またそのニュアンスは全く変わってしまう。
つまり表現するということは、間接的に誰かを傷つける可能性を常にはらんでいるということであり、表現に関わっていく以上、そこから起こる全ての問題を引き受けるだけの覚悟を常にしておく必要があるということだ。
現代のマスメディアは、安全装置の一つとして放送禁止用語であったり差別用語であったり要注意歌謡曲を決め、都度いちいち判断するわけではなく、それさえ守っていれば何の問題もない として、その矮小化に努めているのである。境界線が引かれているのだから実に明確で分かりやすく、オートマテックであるがゆえに、お気楽なのだ。


『 自衛隊に入ろう 』
作詞 : 唖蝉坊・高田渡
原曲 : アメリカ民謡

みなさん方の中に
自衛隊に入りたい人はいませんか
ひとはたあげたい人はいませんか
自衛隊じゃ 人材もとめてます

自衛隊に入ろう 入ろう
自衛隊に入れば この世は天国
男の中の男はみんな
自衛隊に入って 花と散る

スポーツをやりたい人いたら
いつでも 自衛隊におこし下さい
槍でも鉄砲でも 何でもありますよ
とにかく 体が資本です

鉄砲や戦車や ひこうきに
興味をもっている方は
いつでも自衛隊におこし下さい
手とり 足とり おしえます

日本の平和を守るためにゃ
鉄砲やロケットがいりますよ
アメリカさんにも手伝ってもらい
悪い ソ連や中国を(※)やっつけましょう

自衛隊じゃ 人材もとめてます
年令 学歴は問いません
祖国のためなら どこまでも
素直な人を求めます

(※)ソ連や中国はできる限り、小声で

● ’ 93 年にハウスシチューミクス CF ソング 「 ホントはみんな 」 で久々にお茶の間に歌声を届けた高田渡。筆者は当時、なぎら健壱の MC で行われたフォークの集合ライヴ ( 他の出演者は、“ 友川かずき ” で彼の唄にも大変な感銘を受けた ) で彼を聴いた覚えがある。

● 「 自衛隊に入ろう 」 は、長きに渡って放送禁止であると思われ続けた曲だが、実際にはそうではない。この曲には次のような有名すぎるエピソードがある。’68 年 6 月、テレビのワイド ショーで放送されたのをきっかけに巷間、大変な反響を呼んだため、防衛庁がさっそく “ 自衛隊の PR ソングに ” と申し出たというのである。もはやパロディということすら理解されないのだから、正に “ カエルのツラにションベン ” といったところか。  

● “ 要するに逆説で何かを言ってみたいというのがあったんです。ちょうどその頃、自衛隊がそこいら中で募集をしてましたでしょ。非常に ( あの手この手で ) 募集してましたよね、ボーナスが 3 回とか。だから学校へ行けないような人はもう本当に、ふっと行っちゃうんじゃないかって。本当に何人かいたけどね。と思って。で、むこうの ( 宣伝 ) 文句をそっくりひっくり返した。やっぱり変でしょう、どう考えても。そう ( いう意図で ) やったんだけど、それをまたひっくり返して、まともに取っちゃう人もいてね、防衛庁の人なんかがそうだったけどね… ” ( 高田渡 談 )

森達也 『 放送禁止歌 』 ( 知恵の森文庫-光文社 )

森達也の 『 放送禁止歌 』 は非常に優れたルポルタージュである。そこには、20年前、ドキュメンタリー番組 『 そして明日は 』 ( 「 竹田の子守唄 」 が生まれた京都市 竹田地区を紹介し、今も残る差別の一例として結婚差別で自殺した被差別部落出身の女性を取り上げた報道特別番組 ) を演出したディレクター 石高健次との次のようなやり取りがある。

“ でも被写体当人だけでなく、テレビの前で < びっこ > という言葉を聞いた足の悪い人たちが、つまり不特定多数が傷つくからというのが、現代の用語規制を支える最大の根拠ですよ ”

“ それを言い出したら何もできなくなる。表現には必ず副作用があるんです… 絶対に誰も傷つかない表現などありえない。現代のメディアは逃げているだけだと僕は思う… ”





*注
URC ( アングラ レコード クラブ )
はっぴいえんどや岡林信康、赤い鳥などの作品を世に送り出した独立系レコード レーベル。’69年にスタートし、関西フォーク、プロテスト ソング ムーヴメントを強力に牽引した。URC は当初、会員制のレコード クラブで、制作した作品を一般のレコード店舗を通さず、わずか 2000 名の会員のみに配布するという方式をとっていた。’69 年 2 ~ 10 月までの 8 ヶ月間に 5 回、計 LP 5 枚 ( 内 2 枚組 1 組 )、EP 10 枚が制作されている。

URC 設立趣旨を記した 『 フォーク リポート 』  ( ’68 年 ) の一文
私達は、現状では日本のレコード界は民衆への音楽文化の一方通行の役割しか果たしていないと考えます。民衆の中から生れ、民衆自身が創り出した優れた歌が数多くあるにもかかわらず、さまざまな制約から、商業ベースにのりうる歌や、歌い手はそのごく一部です。そこで私達は、優れてはいても商業ベースにのり得ないものを集めて、私達自身の手でレコード化し、クラブ員のみを対象として、レコードを制作配布します。

みひつのこい 【 未必の故意 】 < 法律 >
行為者が、罪となる事実の発生を積極的に意図したり希望したりしたわけではないまま、その行為からその事実が起こるかも知れないと思いながら、そうなっても仕方がないと、あえてその危険をおかして行為する心理状態 ( 岩波国語辞典より引用 )





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