2012年12月7日金曜日

シャイン オン クレイジー ダイヤモンド~あなたがここにいてほしい シド・バレット






シド・バレットは、2006年の七夕に糖尿病の合併症で亡くなった。享年60歳
とはいえ、シド・バレットという名前に特別な感慨を持って接するリスナーが昨今どの程度いるのか? について、いわし亭部長は、はなはだ心もとない。シドが最前線から姿を消したのは’70年に発表した2枚のソロアルバムの時だから、実に40年以上前ということになる。四半世紀と言えば、リスナーの世代交代には十分な年月だ。

ピンクフロイドは ’67年の夏、メンバーの姿が幾重にも連なって乱反射するサイケデリックなジャケットに包まれた 『 夜明けの口笛吹き 』 でアルバムデビューした。
この夏はジェファーソンエアプレーンの  『シュールリアリスティック ピロー 』 ビートルズの 『 サージェント ペッパーズ ロンリーハーツ クラブバンド 』 などが発表され、後年マジックサマーと呼ばれることになる画期的な年だった。

シドは自分の飼い猫をピンク・アンダーソンとフロイド・カウンシルという二人のレアなブルーズマンの名前に因んでピンクフロイドと名付けていたが、バンド名はそこから拝借したもので、後付けで訳知り顔に語られる心理学者のフロイトとは無関係である。初期にはピンクフロイド ブルーズバンドと名乗っていたこともあり、後年のプログレッシヴロックの雄としての側面はまだまだ希薄だった。 当時のバンド テイストは全て、シド・バレット個人のパーソナリティで、初期のピンクフロイドは良くも悪くも、シドとその他大勢でしかなかった。
ロジャー・ウォーターズは自虐的に “ シド以外は誰でも良かった ” という発言をしているが、実際、アルバム収録曲の11曲中8曲がシド一人の作品であり、さらにシドはギタリストであり、ヴォーカリストでもあった。シドの代わりにギタリストとして遅れてバンドに参加したデイヴ・ギルモアにとって、まるでシドが弾いているみたいだ と評価されることは最高の褒め言葉だったらしい。

セカンド シングルの 「 シー エミリー プレイ 」 ( 最初の邦題は 「 エミリーはプレイガール 」 (爆)「 See Emily Play 」 ) は、伸び縮みし、アップダウンする奇妙なメロディ ラインに、ちょっとしたユーモア、サウンドコラージュを施したサイケデリックロックを代表する作品で、いわし亭などこれとファースト アルバムの一曲目 「 天の支配 」 (「 Astronomy Domine 」) の2曲こそ、最もピンクフロイドらしいと思っているくらいだ。 ファースト アルバムの最初の邦題が 『 サイケデリックの新鋭 』 だったことからも分かるように、当時、アートロック、ニューロック、サイケデリックロック、プログレッシヴロックといった境界線は極めて曖昧であった。
こうした ’60年代後半の混沌とした音楽シーンの中にあって、シドの持っていたかなり歪んだポップ感覚は、まさにダイヤモンドのような輝きを放ったのである。しかしそれは、計算されたものではなく、結果オーライであり~これこそシドが神に選ばれし天才の一人だった所以でもあるが~、この繊細な若者が、時代の求めるヒーロー像に応えていくには、やはりプレッシャーが大き過ぎたのだ。

アルバム発表後のツアーから来るストレスから、シドは神経症を患い、ドラッグ・LSDに救いを求めてしまった。結果として、まともな音楽活動が出来なくなったのである。シドを語る時、多くはこの辺りのいきさつだけがロック的惹句としてやたら喧伝され、シド自身の音楽性について深く語られたことは、ついぞなかったような気もする。
あのデヴィッド・ボウイが “ 僕が唯一プロデュースしたいアーティスト ” “ シドは僕のアイドル ” といった相変らずの無責任発言を繰り返す中、その存在はセミリタイア状態の中で、嫌が上にも伝説化されてゆく。
実はピンクフロイドの歴史そのものが、シド・バレットの天才性を対象化し、その巨大な影響力を超克する過程とも言えるのだ。アルバムはその葛藤の記録である。

’73年にリリースされ、ビルボードTOP200に15年間連続で居座るというギネス ブック公認記録を誇る 『 狂気 』 や 『炎 - あなたがここにいてほしい 』 ( ’75年リリース。ギルモアはインタビューで、録音中のスタジオに、シド自身が変わり果てた姿でふらりと現れたエピソードを語っている ) は明らかにシドをテーマに据えている。
この後、作品のテーマが社会批評へと向かうにつれ、ピンクフロイドはセミ解散状態となり、ロジャー・ウォーターズのユニットとしての意味合いを深めていく。
ロッキンオン ’82年12月号に掲載されたシドのインタヴューは悲惨だった。日曜大工大好きオヤジ的な坊主頭のシドのヴィジュアルは、それだけでも十分衝撃的であったが、それ以上に、まともな会話が全く成立していないその内容は、シドがもはや向う側の人間であることを理解させるに十分だったのだ。


『帽子が笑う。。。不気味に』 (『THE MADCAP LAUGHS』) 

 1 カメに捧ぐ詩
 2 むなしい努力 
 3 ラヴ ユー
 4 見知らぬところ 
 5 暗黒の世界 
 6 ヒア アイ ゴー
 7 タコに捧ぐ詩 
 8 金色の髪(ジェイムス・ジョイス作の一篇より)
 9 過ぎた恋 
10 寂しい女 
11 フィール
12 イフ イッツ イン ユー
13 夜もふけて




『その名はバレット』 (『BARRETT』)

 1 ベイビー レモネード 
 2 ラヴ ソング
 3 ドミノ
 4 あたりまえ
 5 ラット
 6 メイシー
 7 ジゴロおばさん
 8 腕をゆらゆら
 9 嘘はいわなかった 
10 夢のお食事
11 ウルフパック 
12 興奮した象







’70年1月リリースの最初のソロアルバム 『 帽子が笑う… 不気味に 』 (最初の邦題は 『 幽玄の世界 』 後にセカンド ソロアルバムとカップリングされた二枚組 『 何人をも近づけぬ男 』 では 『 気狂い帽子が笑っている 』 と直訳されている)は、ロジャー・ウォーターズ、デイヴ・ギルモア、マルコム・ジョーンズのプロデュースに、ソフトマシーンのメンバーも参加して制作された。
シドの作り出す変則的(いびつ)なメロディに演奏をつけるには、やはりジャズ的スキルに秀でたメンバーでないと困難であったことは、容易に想像できる。ジャケットデザインはヒプノシスで、このアートワークもシドの音楽世界を見事に表現している。

筆者のフェイヴァリット ドラマーの一人 ロバート・ワイアットのスティックさばきが冴えわたる2曲目の 「 むなしい努力 ( No Good Trying )」 は必聴だが、このアルバムの聴きどころは、実は後半の弾き語りパートにある。
このアルバム、制作上最大の問題は、シドが演奏できる状態をキープすることだったと言われている。シドの状態はそれ程、悪かったが、そのバッドテイストが無修正でそのまま記録されているのだ。

ここで延々と排泄されるシドの弾き語りは、まず、まともな感覚では聴いていられないくらい調子が外れ、リスナーの神経を逆なでするもので、相当にヤバイ雰囲気が充満している。
ただ、この定型を外しまくった野放図なスタイルこそが、ブルーズと言えないこともなく、延々とハズしまくりながらも、このアルバムの全体には不思議な静寧感が漂っており、そんなところにもこの稀代のアーティストの凄味を感じる。
ファースト アルバムのミドルヒット ( 全英チャート 40位 ) を受けて、’70年11月にはシド自筆のイラストで飾られたセカンド ソロアルバム 『 その名はバレット 』 が発表された。こじんまりとまとまったアルバムになっている分、かえってスリルに欠けるきらいがあり、いわし亭にとっては1枚目こそがシド・バレットだ。


ピンクフロイドの商業的大成功は、リスナーにとってもアーティストにとってもプログレッシヴロックとはこういうものであるという一つの固定的なイメージを作ってしまったという点で、その功罪は大きい。
そもそも固定的なイメージそのものがプログレッシヴ ( 進歩的あるいは先進的または前衛 ) という言葉、本来の意味とはかけ離れたものであり、名称の是非は別にしても、それを最も嫌うのがプログレッシヴロックであったはずなのだ。その意味で、多くのリスナーが絶賛するピンクフロイドの音は、いわし亭にとって退屈である。


むしろこうした評価が確定していなかったシド在籍時のファースト アルバムとセカンド アルバム 『 神秘 』 ( 『 A Saucerful of Secrets 』 シドの作品は最後の 「 ジャグバンド ブルース (Jagband Blues )」 のみではあるが)の方が、未整理なベクトルが全方向に放射されている分、よほどプログレッシヴだったと思う。

おそらくこのことについて誰よりも自覚的なのは、他ならぬピンクフロイド自身ではないだろうか。’01年に発表されたベスト盤 『 エコーズ-啓示 』 (『 Echoes - The Best Of Pink Floyd 』) に収められた楽曲リストを検討すれば、それは明らかである。

ピンクフロイドのメンバー4人が選曲に携わったという点で、“ 初 ” のベスト盤 と言ってもいい本作は、キャリア30年、全15枚のオリジナルアルバム及び6枚のシングルから26曲が厳選されているが、シドと一緒に過ごしたわずか2年の間から5曲も選ばれている。
また曲順は、デビューアルバム 『 夜明けの口笛吹き 』 の1曲目 「 天の支配 」 に始まり、最後の曲 「 バイク 」 で終わる。しかもジェイムズ・ガズリーによって新たに編集し直された各楽曲は、すべての曲間が繋がれており、曲順へのこだわりも尋常ではない。彼らにとっても、シドの在籍したピンクフロイドは特別な存在なのだろう。




シドの死後、彼の実姉がケンブリッジでのシドの生活について、サンデータイムズのインタヴューに答えた。シドの精神疾患に関する記述はマスコミによって過度に強調されていることを示唆した上で、美術史に関する研究書の執筆に没頭していたこと、地元住民と大変友好的な関係を築いていたこと、さらに看護師の立場からシドには幼少時からアスペルガー症候群の兆候があったとし、五感が未分化である共感覚の持ち主であったことを付け加えている。
サイケデリックとはドラッグ・LSDによって得られる共感覚を対象化した芸術表現であったことを考えあわせると、シドはまさにサイケデリックの申し子そのものであったと言えよう。


ピンクフロイド 『夜明けの口笛吹き』(『The Piper At The Gates Of Dawn』)

 1 天の支配
 2 ルシファー サム
 3 マチルダ マザー
 4 フレイミング
 5 パウ R トック
 6 神経衰弱
 7 星空のドライヴ
 8 地の精
 9 第24章
10 黒と緑のかかし
11 バイク

後のピンクフロイドが展開した方法論の萌芽は、全てこのファースト アルバムの中に見られる。例えば、イマジネーション豊かなサウンドコラージュ、当時としては長過ぎたコンセプト曲等々… セカンド アルバム以降のピンクフロイドは、どこまでいっても本作のアイディアの焼き直し、拡大再生産を行っているに過ぎない。加えて、誰にも真似できなかったブッ飛んだポップセンス。これらのほとんど全てをたった一人でやってしまったのだから、シドの存在は、まさに次元が違っていた。
本文でも触れたとおり、ポピュラーミュージック最大のヒット作である『狂気』でさえ、天才ポップ ミュージシャン=シドに対するロジャー・ウォーターズのジェラシーの裏返しなのだ。そのサウンドがあまりにも内省的だったのも肯ける。

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『シド・バレットの思わぬ遺産』
Ako Suzuki London’07年5月21日13時42分 配信 BARKS

昨年亡くなった元ピンクフロイドのシド・バレットが、多額の遺産を残していたことが明らかになった。音楽活動中止後、目立たず慎ましやかな生活を送っていたため、財政が厳しいのではないかと思われていた彼だが、お金がないのではなく、好んで質素に暮らしていたようだ。

ケンブリッジにある母親の家に住み続け、亡くなる数年前には寒空の下、ジャケットもはおらず近所のスーパーへ買い物に出るもの悲しげな姿がパパラッチされていた彼。しかし、質素な身なりとは裏腹に、兄姉へ170万ポンド(約4億円)もの遺産を残していたそうだ。

『Daily Mail』紙は、兄アランに42万5,000ポンド(約1億円)、ほかの3人の兄姉にそれぞれ27万5,000ポンド(約6,500万円)を残したほか、病に倒れた彼の面倒を見ていた姉ローズマリーが家と遺品を売却し50万ポンド(約1億2,000万円)を得たと報道している。

バレットは、’70年代半ばには音楽シーンを離れているものの、ピンクフロイドの作品、およびソロアルバムから多大な印税が入り続けていたのだと思われる。しかし、お金をはじめ外の世界に無関心であった彼には使う術がなかったのかもしれない。
バレットは’06年7月7日、糖尿病による合併症のため60歳で死去。今月初めに行なわれた追悼コンサートでは、ピンクフロイドの元バンドメイトやレッドツェッペリンのジョン・ポール・ジョーンズ、ブラーのデーモン・アルバーン、プリテンダーズのクリッシー・ハインドらが出演し、彼の功績を称えた。





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