2014年11月14日金曜日

「 ツァラトゥストラはかく語りき 」 ~ 史上最も贅沢な実験映画 『 2001年 宇宙の旅 』 の冒頭を飾るシネラマ サウンド


1968 年 4 月 6 日に米国で初公開された 『 2001 年 宇宙の旅 』 は、シネラマという非常に高価な上映方式を取っておりながら、徹頭徹尾、監督 スタンリー・キューブリックただ一人に独占された作品である。それをして史上最も贅沢な実験映画、自主制作映画と評された。

作品は、真っ暗な画面が少しずつ明るくなっていくと、実はそれは月であり、月が少しずつ下がるとその向こうに地球が見え、その地球の背後から太陽が昇っていくという大胆な構図で幕を開ける。その圧倒的なパースペクティヴは、70m/m シネラマという上映方式と相まって、恐るべき広がりと奥行きを見せた。

映像の魔術師キューブリックの出現を予感して、この壮大なるオープニングシーンのために作られたのではないか とさえ思わせる完璧なるバランスでリヒャルト・シュトラウスの交響詩 「 ツァラトゥストラはかく語りき 」 ( 1896 ) が轟音を鳴り響かせる。

冒頭の重低音の持続から、堰を切ったようにあふれ出すトランペットの輝かしいファンファーレ、打楽器の勇壮な響きへと繋がるその何物にも代えがたい高揚感が、まさに超人の誕生を祝福するかのように鳴り響くこの交響詩の超弩級の圧倒的音圧。
おそらく 100 年後もなお語り継がれるであろうこの作品が、フリードリヒ・ニーチェの超人思想をフォーマットとしたものであるならば、そのオープニングを飾るに、これほど相応しいサウンドもあるまい という確信めいたものを感じさせるのだ。

映画で実際に使われていた 「 ツァラトゥストラ… 」 は、ヘルベルト・フォン=カラヤンが 1959 年にウィーン フィルハーモニー管弦楽団を指揮したデッカ盤であった。しかし、いわし亭が 1978 年のリヴァイバル公開時に入手したアナログ LP のオリジナル サウンドトラック盤は、 カール・ベーム指揮ベルリン フィルハーモニー管弦楽団の独グラモフォン盤が採用されていた。

デッカレコードのプロデューサー ジョン・カルショーの自伝 『 レコードはまっすぐに あるプロデューサーの回想 』 よると、“ キューブリックはカラヤンの録音を採用した ” と明記されている。また “ デッカがキューブリックに楽曲の使用許可を与えるにあたり、デッカやカラヤンの名前を画面に出さないのを条件にした ” ともあり、これで 『 2001年… 』 のエンドタイトルで、「 ツァラトゥストラ… 」 の演奏者クレジットがなかったのは何故か? という疑問についての説明はつく。サウンドトラックを制作するに当たって、契約・権利関係をクリアに出来なかったための苦肉の策 といううがった見方も出来るだろう。こうした経緯から、発売されたサウンドトラック盤は、実際に映画で流れたカラヤン指揮ではなく、ベーム指揮のものに差し替えられたのである。
そしてこの事実を元に、正しいサウンドトラック盤が出たのは、実にこの作品公開後25年以上が経った1996年のことであった。


アナログ盤のオリジナルサウンドトラックと 『 2001年 』 イメージそのままのジャケに包まれたカラヤン
指揮ベルリンフィルの独グラモフォン盤アルバム

この逸話に関して、JURASSICさんの R・シュトラウス と 「 2001年宇宙の旅 」 という非常に面白い推論を見つけたので、リンクを貼っておきたい。ご参照ください。


余談であるが、『 2001年… 』 のイメージそのままのジャケットで発売されたカラヤンの独グラモフォン盤は、帯の惹句に “ 全ての楽器の音が聞こえる ” とトンでもないことが記載されていた。

このカラヤンの録音では、冒頭のトランペットが弾けるように奏でられ、その尋常でないインパクトの鋭さに加え、かなりアップ テンポで指揮されている。それがサウンドトラックの演奏とは全く異なる印象を抱かせたため、なおさらベーム版がそれっぽく聴こえたのだ。


『 2001年… 』 には、実はオリジナルのスコアがある。キューブリックの 『 スパルタカス 』 (1960) を担当したアレックス・ノースが作曲したもので、録音も急ピッチで進んでいた。制作の途中で、ノースが過労で倒れるというアクシデントまで生じている。キューブリックがノースに制作を依頼したのが1967年の12月で、ノースは一カ月で作曲、録音までこぎつけたのだから、当然そうなるだろう。完成した 『 2001年… 』 を見ればよく分かるが、台詞を極端なまでに排除し、映像と音楽に雄弁に語らせる というプランをキューブリックから説明されたノースは、作家として非常にやりがいを感じていたらしい。

そもそも MGM の重役会議でのプレゼンテーションの際、キューブリックはサウンドトラックとして既成クラシックの使用を提案したが、これを却下されたという経緯がある。これが、アレックス・ノースの気の毒なエピソードのそもそもの発端なのだが、皮肉なことにこの 『 2001年… 』 以降、クラシックに造詣が深いキューブリックが自作のサウンドトラックにクラシックやポピュラーの既成曲を使う傾向はさらに顕著になっている。



 なぜ、ベートーヴェンのような大音楽家が書いた素晴らしい楽曲が、すでに存在するにもかかわらず、それに太刀打ちできない曲を書いてくる映画音楽のプロ作曲家に、発注しなければならないのか? 

映画音楽は一般的には、象徴的なメインタイトルとその変奏曲 ( 楽器編成を変えたものやAメロ・Bメロを無視したサビだけのもの、等々 ) から成り立っている。だから、サウンドトラック盤などを購入すると、同じような楽曲や一部分のような小品ばかりが延々と収録されていて、がっかりさせられることが多い。
また印象に残るテーマは、場面にあわせて都合よくサビの部分が流れるので、逆にきちんと一曲に編曲されているトラックを聴くと、とんでもなく間延びして感じたりもする。近年、映画音楽として最も印象的だったのは 『 パイレーツ オブ カリビアン 』 ( 2003 ) のサウンドトラックではないかと思うのだが、あれにしてもやはりきちんとした一曲に編曲されてしまうとあの印象的なフレーズが出てくるまでは、かなりじれったく感じる。
スペース オペラの傑作 『 スター ウォーズ 』 ( 1977 ) が、ジョン・ウィリアムズが作曲し、ロンドン交響楽団を指揮したメインテーマをサウンドトラックに採用した時、多くの批評家は 『 2001年… 』 を引き合いに出して説明していたが、監督のジョージ・ルーカス本人は、“ クラシックを使うというアイディアは素晴らしいけれども、既成の録音を転用する方法では、サウンドトラックとしての統一感に欠け、バランスが悪い ” と語った。
ただ、’80年代以降、この傾向は例えば 『 フットルース 』 のような作品が、洋楽チャートを賑わすようなヒットソングをずらりと並べ、そのサウンドトラック盤がミリオンセラー ( 1984年4月30日付~10月15日付=邦楽チャートで初の25週連続TOP10入り。全世界で500万枚を売り上げた ) を記録する といった傾向が強まるにつれ、薄れてきているようにも思われる。ルーカスにしても出世作である 『 アメリカン グラフィティ 』 ( 1973 ) のサウンドトラック盤は、’50年代を代表するアメリカンポップスのオムニバス盤だった。
実際、『 2001年… 』 のサウンドトラック盤は、リヒャルト・シュトラウス、ヨハン・シュトラウス、アラム・ハチャトゥリアン、ジェルジ・リゲティと非常にヴァラエティに富んだ内容になっており、これだけを単独で聴いたとしても十分興味深い内容になっている。キューブリックのプライヴェートなレコード棚を覗き込むような楽しさに溢れた好オムニバス盤と言えよう。

オリジナルのスコアを発注する際、監督のイメージを作家に伝えるためのサンプラーをテンプ トラック ( temporary music tracks ) と呼ぶが、キューブリックが 1967 年 12 月、ノースに渡したテンプ トラックには、その後、正式採用される楽曲が入っていた。もともと、キューブリックは映像のイメージを補填するため、実験的に様々なクラシックを流しながら撮影していたという。一方、ノースは体調を壊してまで制作にあたったが、その渾身の作品をキューブリックはあっさり不採用にしてしまう。
キューブリックは、MGM の重役会議で却下されていたにもかかわらず、最初からノースに渡したテンプ トラックを最終決定版と考えており、ノースのスコアは使用許諾権がクリアできなかった際の保険だった という説さえある。マジ、ひでえな これ ( 苦笑 ) ノースはこれに納得がいかず、訴訟を起こそうとさえしたというから、気の毒にも程がある…

ノースの名誉のために記載しておくと、彼はマーロン・ブランド主演 『 欲望という名の電車 』 ( 1951 )、マリリンモンロー主演 『 荒馬と女 』 ( 1961 )、エリザベス・テイラー主演 『 ヴァージニア ウルフなんかこわくない 』 ( 1966 ) 等々を手掛けた人気作家であり、アカデミー賞・作曲賞ノミネートの常連でもある。また 『 アンチェインド 』 ( 1955 日本未公開 ) の主題歌 「 アンチェインド メロディ 」 は、後にライチャス ブラザーズがカヴァーし、『 ゴースト/ニューヨークの幻 』 ( 1990 ) の主題歌として、劇中で使用され、大ヒットしている。

ノースが用意したスコアは、ノースを敬愛していたジェリー・ゴールドスミスがナショナル フィルと録音した 「 ALEX NORTH’S 2001 ~ THE LEGENDARY ORIGINAL SCORE 」 として聴くことが出来る。
メインタイトルなどは明らかにテンプ トラックとして示された 「 ツァラトゥストラ… 」 のイメージを彷彿させる。総じて出来は悪くないのだが… ノースのスコアではやはり何かが足りないのだ。
結局これは結果論でしかないが、完成された 『 2001年… 』 を見る限り、キューブリックの判断は正しかったと言わざるを得ない。もちろん、先に体験したサウンドトラックが強烈な印象を刷り込んだことは否めないが、 もはや 『 2001年… 』 の各々のシーンに別のサウンドトラックを想定するすることはかなり困難である。それほどまでに、この作品では映像とサウンドトラックが分かちがたく融合しており、そのセンスこそがこの作品を成立させる鍵でもあった。

例えば、宇宙を表現するのにシンセサイザーと言ったツールの無かった当時、“ 回転するものの美しさを表現した音楽で 「 美しく青きドナウ 」 以上のものはない ” として、華麗に回転する宇宙ステーションと ( 今はなき PanAm 航空会社のマークが燦然と輝く )地球連絡船オリオン号 ドッキング シーンにこれを充てる といった発想は、やはりキューブリック特有のもので、常人には到底思いつかないだろう。
それは、難解さだけが売り物のような印象の現代音楽からリゲティを持ち込み、モノリスのテーマとした辺りにも伺える。この 「 レクイエム 」 という作品は、1965 年 3 月に世界初演された正に当時最先端の “ 現代の音楽 ” で、ラジオでオンエアされた音源しかなかった。こうした作品にまで嗅覚を研ぎ澄ませていたキューブリックのアンテナの広さ、深さには本当に唸らされる。

ちなみに 1960 年代は映像体験が、旅行の代りを果たす時代でもあった。
いわし亭も小学生の頃、TBS 系列局で日曜日の朝、放映されていた 『 兼高かおる世界の旅 』 を毎週、欠かさず見ていたものだ。この作品が何とも前時代的なタイトルを持っているのも、作品自体が SF  映画というよりは、簡易的な宇宙旅行を体験するためのもの という位置づけであったことが良く分かる。そう思うと 『 2001年… 』 がシネラマという上映方式をあえて採用していたのは必然だった。ここで提供された映像体験は、当時の観客にとって今日、ディズニーランドやユニバーサル スタジオ ジャパンのアトラクション以上のものであった。



オリジナル サウンドトラック 『 2001年宇宙の旅 』
1.アトモスフィア
2.ツァラトゥストラはかく語りき
3.レクイエム
4.美しく青きドナウ
5.ルクス エテルナ
6.ガイーヌよりアダージョ
7.木星無限の彼方
8.ツァラトゥストラはかく語りき
9.美しく青きドナウ
~~~~~~~~~~
10.ツァラトゥストラはかく語りき
11.ルクス エテルナ
12.アバンチュール
13. HAL9000の反乱



1996年にTURNERから発表されたオリジナルサウンドトラック。日本ではソニー ミュージック エンタテインメントから再発されているが、これはエクストラトラックを 4 曲追加した完全盤である。
なお、プログレッシヴロックの雄、PINK FLOYDの名作 『 おせっかい 』 の 「 エコーズ 」 ( 24分の大作だけに、アナログ盤ではB面全部で一曲だった ) を、最終章 < 木星 そして無限の宇宙の彼方へ > が始まるタイミングで再生すると楽曲と映像が見事に同期するという発見をした人がいる。興味のある方は、 < 「 エコーズ 」 と 『 2001年 宇宙の旅 』 のシンクロニシティ> というサイトへ飛んでください。


史上最も難解な作品というある意味、不名誉な称号をほしいままにするこの作品、その謎のすべてが解明された。町山智浩氏の 「 映画の見方がわかる本 ― 『 2001年宇宙の旅 』 から 『 未知との遭遇 』 まで 」 ( 映画秘宝 COLLECTION ) にその詳細が述べられているが、この作品をここまで解題した文章をいわし亭はこれまで読んだことがない。



『 2001年 宇宙の旅 』 
原題 2001 : A SPACE ODYSSEY

監督・製作:スタンリー・キューブリック
脚本:スタンリー・キューブリック/アーサー・C=クラーク
出演者:キア・デュリア/ゲイリー・ロックウッド/ウィリアム・シルベスター
撮影:ジェフリー・アンスワース/ジョン・オルコット
編集:レイ・ラヴジョイ
配給:メトロ=ゴールドウィン=メイヤー
日本公開:1968年4月11日
上映時間:141 分
製作国:イギリス/アメリカ合州国
製作費:$10,500,000


50年後の2018年 
この作品がついにIMAXで鑑賞できる時が来た! 2018年10月19日から2週間の限定上映なる




スタンリー・キューブリック 監督 作品

拳闘試合の日 Day of the Fight (1951年)
空飛ぶ牧師 Flying Padre (1951年)
海の旅人たち The Seafarers (1952年)
恐怖と欲望 Fear and Desire (1953年)
非情の罠 Killer's Kiss (1955年)
現金に体を張れ The Killing (1956年)
突撃 Paths of Glory (1957年)
スパルタカス Spartacus (1960年)
ロリータ Lolita (1962年)
博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか
 Dr. Strangelove or: How I Learned to Stop Worrying and Love the Bomb (1964年)
2001年宇宙の旅 2001:A Space Odyssey (1968年)
バリー・リンドン Barry Lyndon (1975年)
シャイニング The Shining (1980年)
フルメタル・ジャケット Full Metal Jacket (1987年)
アイズ ワイド シャット Eyes Wide Shut (1999年)




2 件のコメント: