2015年9月25日金曜日

21世紀型アイドルの今 初音ミク ☓ 非常階段 → 初音階段 



2013 年から ’14 年にかけて、日本のアイドル界を震撼させた事件は、何と言っても BiS ( ビス ) とキャリア 35 年を数えるキング オブ ノイズ 非常階段の合体、BiS 階段だろう。もはやゼロ年代の日本のアイドルは、歌謡曲のフォーマット限定で活躍するわけではなく、ハードロックあり、ヘヴィメタルあり、パンクありとジャンルの垣根を軽々と飛び越えてしまったが、最後の聖域であったノイズとのコラボレーションを果たしたのが、“ アイドル界の暴走機関車 ” “ 掟破りのアイドル ”  BiS であったのは当然の帰結とも言えよう。

BiS とは、新生アイドル研究会/Brand-new Idol Society の頭文字を並べた名称である。2010 年 11 月、アイドルを研究し、アイドルになろうとする、アイドルになりたい 4 人組としてスタートし、約 3 年半の活動中、何度かのメンバーチェンジを経て、2014 年 7 月 8 日、横浜アリーナでの解散ライヴ 『 BiS なりの武道館 』 にたどりついた時点では 6 人組となっていた。“ 自給自足 ” をスローガンに、振り付けはもちろん、初期にはイベントのブッキングも自分たちで行っていた。
BiS はいわゆる一般的なアイドルとライヴアイドルとのぎりぎりの境界線上微妙にズレ動く抜群のセンスで、業界内にもファン ( ちなみに BiS ではファンを総称して研究員、ライヴを報告会と呼ぶ ) を急増させてきた。そのセンスは、全くの別のジャンルで確立されたメソッドをアイドルという無菌室に持ち込み、多大なるインパクトを生じさせる という方法論を確立する。
例えば、深い森の中を舞台に全裸で走りまわる PV ( 「 My Ixxx 」 ) 。ただし、全裸になっているとはいえ、映像的にはシルエット処理されており、惹句から想起する内容には程遠い。とはいえ、AV  業界としてはごくごく当然の手法をアイドル PV に持ち込むという違和感の対象化、さらに増長化は、想定以上のリアクションを引き出すことに成功した。
また、悪名高い数々の特典会がある。CD 等を大量販売する手法として確立された特典会は、AKB48 が十八番にしている握手会がその代表例だ。この握手会をワルノリも含め、拡大、過激化していったのだが、ハグ会、ケツバット会、ローション握手会、ちゅー会、キス会、KISS 会、ハリセン会、もみもみ会、罵倒され会 等々、結果、凄まじい勢いで増殖した。いちいち説明するのも面倒なので、興味のある人はググってみて欲しい。
アイドルという現象が、つまるところ性の切り売りである以上、商品化という方向性を突き進めば、キレイごとではなく BiS の取った戦略は肯定せざるを得ない。“ 乱立するアイドル戦国時代を勝ち抜いていくためには避けられない方法論であった ” とのコメントには圧倒的な説得力があるし、むしろ清々しい位だ。そして、BiS の楽曲は実は非常にポップでキャッチーな名曲揃いであり、BiS は楽曲を聴かせることさえ出来れば、十分、勝負出来ると確信していたのだ。


BiS階段の雄姿
非常階段の JOJO 広重が BiS にアプローチしたのは、“ もともと BiS のことは研究員さん達が教えてくれたんですよ。というのも、ツイッターで < ももいろクローバー Z と非常階段で、ももクロ階段が出来たらすごい > なんて話が出てたんです ”。ももいろクローバー Zは、すでにヘヴィメタルとのコラボを実現していた ( ’15 年 年頭には何とアメリカンハードロック レジェンド KISS とのコラボシングルを発表。さらに 3 月 3 日 東京ドームのツアーファイナルへの特別参戦も決まっている ) ため、そのような意見がごくごく普通に出たのだろう。そもそも、ももいろクローバー Zのマネージャー 川上アキラはプロレスファンで、その舞台演出・プロモーション戦略には多分にプロレスの影響が見て取れる。“ そうしたら、BiS ファンの何人かが < JOJO さん、だったら BiS もいいですよ > と言ってくれて。それで実際にチェックしたら < あ、ホントだ > と ” とのことだった。
BiS はその戦略として、前出のように違和感を対象化し、ジャンルの垣根を軽々と飛び越え、そのマージナルな領域における絶妙のバランス感覚に加え、パンクに傾倒する破壊衝動をユニット内ですでに飼い慣らしていたこと ( ライヴでは、ファンに向かってスクール水着でダイブ ! するようなパフォーマンスも実践している ) が、稀代のキング オブ ノイズ 非常階段とのコンビネーションの良さを生んだのだ。そして、非常階段は過去からこうしたコラボレーションにおいても抜群の応用力と順応性を見せつけてきたバンドであった。
BiS 階段は解散を間近に控えた 4 月に坂田明、大友良英を交えた JAZZ BiS 階段を敢行するが、このライヴに関するファーストサマーウイカのブログを読むと、女性特有の直観で一気呵成にノイズの本質に肉薄していることが分かり、感心させられる。
本稿の主役は初音階段のため、BiS に関する記述はここまでとするが、この程度の内容では到底、彼女たちの活動には追いつけない。是非、ネットサーフィン、DVD、映画等々で BiS を再体験して欲しいと思う。


初音ミクは三次元立体映像で実現したヴァーチャルリアリティの中に存在する仮想アイドルだ。2014 年 10 月には、米国ロサンゼルス NOKIA Theatre、ニューヨーク Hammerstein Ballroom で総合イベント 『 HATSUNE MIKU EXPO 』 第二弾 ( 第一弾は 5 月にインドネシアのジャカルタで開催 ) が行われ、その熱狂の様子が WOWOW で実況中継されたが、歌い踊るミクにあわせて、ペンライトが降られ、声援が飛び交う様は、現実のトップアイドルのライヴと何ら変わりないものであった。

だが、こうした状況が全く理解できない人々もまたたくさんいて、ヴァーチャルリアリティのアイドルに対して、何故、あれほど熱狂できるのか? といった正に愚問がネットやメディア等、あちらこちらで散見された。そもそも観客の存在が前提となる全ての興行において、そのアイコンには実態がない。舞台の上で演じられる世界はモチロン全て偽物であるが、コンセンサスとして、それはそういうものであるとクリアされている。同様にプロスポーツ選手や TV のパーソナリティは言うに及ばず、ドキュメンタリー映画で描かれる人物ですら、映画のフレームに収まった時点で、架空の存在と化すのである。
アイドルもまた演じられているのは当然のことなのだ。2014 年 6 月 AKB 48 第 6 回選抜総選挙で1 位となり、念願のセンターを獲得した渡辺麻友のインスタグラムのプライベートアカウントが流出し、“ まゆゆブラック化の衝撃 ” 等々、マスコミでかしましく報道されたが、この事件、むしろファンの方がはるかに冷静で “ 昔からまゆゆの < 腐女子ぶり > は有名だった。むしろ好感が持てる ” といった意見すら聞かれたのである。
20 世紀最大のアイコンであるマドンナ ( 考えてみるとこのアーティスト名自体、実態がまるで想像できない名称ではないか! ) が素晴らしいのは、マドンナ=ルイーズ・チコネという女性もアイコンとしてのマドンナのいちファンであり、マドンナがどのようにふるまうと嬉しいのか というファン視点で客観性を担保しながら、セルフプロデュースを完璧にこなしているからだ。マドンナはアーティスト エゴを振り回して、自分のやりたいことを追求したりはしない。そんなことは、ファンの誰も望んでいないからである。
その意味で優れたパフォーマーは、ファンが望んでいる架空のキャラクターを演じているし、演じられたキャラクターと演者としての個人は全く別の存在である。


2014年5月、BiS 階段が発展的に解消したことを受けて、同時多発的に存在した非常階段のコラボユニットの一つ 初音階段が再度、クローズアップされることになる。
初音階段は、ヴォーカロイドとしてサイバー空間上に出現した初音ミクをフィーチュアして、彼女の歌に非常階段がノイズで伴奏を付けるというユニークなアイディアをレコーディングするための架空ユニットであった。アルバムではリーダー JOJO 広重の広範な音楽的素養を裏付けるように、ヴェルヴェットアンダーグラウンドジャックス頭脳警察、JAGATARA、ケイト・ブッシュ、キング クリムゾン、チューリップ、原田知世、『 新世紀エヴァンゲリオン 』 主題歌 等々がカヴァーされており、非常に興味深い内容になっている。
架空ユニットであった初音階段は、その後、シンガー ソングライター 白波多カミンが初音ミクを演じることで、三次元へと実体化し、本当にライヴを行うようになる。そして、ライヴで使われている手法には、まさに JOJO 広重が BiS 階段で実験し、錬成し、完成させたものがそのまま持ち込まれている。

白波多カミンのバイオグラフィーで注目すべきは京都で生まれ育ち、下鴨神社で巫女様を務めていたというキャリアである。
いわし亭は、日本のアイドル始祖は、慶長 8 年 ( 1603 年 )、京都 鴨川の河原で人気を博した “ かぶき踊り ” の創始者、男装の麗人 出雲阿国 ( いずものおくに 元亀3年/1572 年 -没年不詳 ) であると思う。彼女は出雲大社の巫女様で、文禄年間、勧進のため諸国を廻った。京都市東山区 四条大橋東詰には、腰にひょうたんをつけ、右手に扇子、左手で刀をかつぎ、見栄を切るいなせな阿国の像が立っている。
中世ヨーロッパで秘かに流行したサバト ( 魔女や悪魔を崇拝する集会、魔宴、魔女の夜宴 )、アフリカの部族の間で行われる宗教儀礼、等に通底する阿国踊りは、時の為政者によって禁止されるほどに民衆の熱狂を生み出すが、こうした熱病のような状況は現在、毎晩のように繰り返されるオールナイト イヴェントの類 ( ♪ 土曜の夜はフィーヴァーしよう ) と驚くほど似通っている。あるいは、ジャマイカのボブ・マーリー&ザ ウェイラーズやナイジェリアのフェラ・クティ、フランスのマグマ、等々で象徴的に用いられる女性コーラスがもたらす狂騒的な興奮状態、さらにはトランス状態に入り易い女性性を必要不可欠とする巫女という職業、等々、いわし亭がアイドルという現象を読み解くとき、演者としてのあるいはファンとしての女性性に着目するのは当然の帰結なのだ。

キング クリムゾンがその偉大なる歴史をスタートさせた革命的な一曲 「 21 世紀の精神異常者 」 ( レコード制作基準倫理委員会の審査基準の変化によって現在は 「 21世紀のスキッツォイド・マン 」 という表記に改められているが、これ何なんですかね? 英語カタカナ表記にしてるだけで、意味するところは何も変わってないやん… 医療用語としての schizoid は精神分裂病、現在では統合失調症を指す言葉になっている) は技術的に非常な難曲として有名 ( あのゲイリー・ムーアがグレッグ・レイクとバンドを組んだ際、レパートリーとして演奏していたが、ロバート・フィリップと会見した彼は “ 難し過ぎる ” と苦言を呈した という都市伝説がある ( 笑 )  第一期のキング クリムゾンはこの曲をアンコールで必ず演奏していたが、第二期のディシプリン クリムゾンはついに演奏することはなかった ) だが、何よりもまずリスナーの耳をとらえるのは VCS3 シンセサイザーでイコライジング処理された摩訶不思議なヴォーカルである。
渋谷陽一は自著の中で “ ヴォーカルは、言わばそのバンドの顔であり、ミック・ジャガーが歌っていない ザ ローリング ストーンズはもはやストーンズとは呼べない。それほど、バンドの個性を決定づける重要な要因のはずなのに、この曲はヴォーカルそのものを無個性化している ” と述べているが、これはつまりクリムゾンのアイデンティティにとってヴォーカリストの存在はそれほど重要ではなかったということに他ならない。実際、そのことを裏付けるようにデビューアルバム 『 クリムゾン キングの宮殿 』 以降、キング クリムゾンはリーダーのロバート・フィリップだけを残し、目まぐるしいメンバー チェンジを繰り返した。この 「 21世紀の精神異常者 」 も正式に発表されているものだけで 3 人のヴォーカリスト ( グレッグ・レイク、ボズ・バレル、ジョン・ウェットン ) のヴァージョンが存在する。
ゼロ年代に入って登場した神聖かまってちゃんは、ネット ツールを巧みに利用し、自作 PV を YOUTUBE やニコニコ動画へ投稿、ニコニコ生放送や TwitCasting での定期配信、さらにライヴそのものをストリーミング配信する手法を確立した先駆者である。女の子でも男の子でもないという意味を込めて、“ の子 ” と名乗り、作詞作曲の多くを手掛けるバンドの中心人物は、ライヴ中に自分のヴォーカルをシーケンサを使ってリアル タイムの中で反復再生する際に、やはりイコライジング処理を施し、性差が判別できないものへと変形させていた。ミドリ時代の後藤まりこも、同じくそうしたパフォーマンスを得意としていた。

ヴォーカロイドとはそもそもアイデンティティが消滅しており、ユーザ側の都合によってどのようにでもアレンジが可能な、そういう性質のものではなかったか? と今更ながら、思う。全てのユーザーに等しく開示された初音ミクのコンセプトは、個性がないからこそ驚異的な発展と広がりと独自性を得たのだ。個性がないことこそ、個性である というこの言葉遊びのような二律背反は、さらに
2次元と3次元を自由に行き来するための必要十分条件にもなっている。
二次元の世界で誕生した初音ミクは、その後フォログラフ立体画像により三次元化して、アイドルとしてライヴを行い、ついにはあの冨田勲が指揮するオーケストラ ( 冨田勲 『 イーハトーヴ交響曲  ISAO TOMITA SYMPHONY IHATOV 』 ) とさえ共演した。ミクは多くの人々の手を経て、様々なキャラクターを加味されたが、それもまた没個性という前提があったが故である。没個性であったからこそ、ヴァーチャルリアリティ上のあらゆるニーズを満たすことが出来たのだ。


さて、いわし亭がこの三次元の初音ミクを擁した初音階段を初体験したのは、2013 年 5 月 11 日 関西アンダーグラウンドのメッカ 難波ベアーズだった。

白波多カミン扮する初音ミク

初音階段の初代・初音ミク 白波多カミンはれっきとしたシンガー ソングライターであり、レイヤーではなかったから、しっかりヴォーカリストしていた。もちろん、初音ミク仕様に声質も変調させてはいたが、白波多カミンとしてのキャラクターの方が、初音ミクをはるかに上回っていたと言える。結果として、三次元フォログラフ立体画像の初音ミクと非常階段との共演 といった当初のイメージは希薄になってしまった。このライヴでは、むしろ白波多カミン アンド ハー フレンズといった気配のほうが濃厚だった。
アンド ハー フレンズと言えば、2014 年 5 月 19 日に同ベアーズで開催された白波多カミンの 『 くだもの 』 発売記念ワンマン ライヴでは、何とバックをジャズメン様に正装で決めた HIROSHI ( from 奇形児 ) 、FUJIWARA ( ex.サバート・ブレイズ ) 、岡野太 ( from 非常階段 ) 、HAJIMETAL ( from 誰でもエスパー、ex.ミドリ ) が務めるというとんでもなく豪華なメンバーが実現している。

レイヤーにとって初音ミクは、たくさんあるレパートリーの一つに過ぎない。実際、ネット上を検索すれば、可愛らしい初音ミクはモチロン、複雑怪奇な魑魅魍魎系まで実に多種多様な初音ミクにヒットする。その意味では実態のない、誰でもないレイヤーに演じられている初音ミクだからこそ、サイバー空間に存在する初音ミクの代替キャラクターとして、受け手の側にも歩み寄る余地が生まれる。


難波ベアーズに再登場した初音階段のメンバーは、非常階段の JOJO 広重、Nasca car を率いる電子音楽家 中屋浩市、そしてレイヤーの“ るしゃ ” 。二代目・初音ミクをレイヤーに演じさせた JOJO 広重の目論見は見事に正しい。
中屋浩市はテルミンをはじめとするエレクトロ ノイズを担当。テルミンに向かって慎重に手をかざすその姿には一種独特な学者然とした風情が漂う。JOJO 広重はモチロン、ギターである。とは言え、あれはもはやギターではなく、完全に別の音を出す楽器である。一番前で見れたので、確認出来たのだが、あの信じがたい音色のヴァリエイションを実現するデヴァイシズ ( devices : キング クリムゾンのロバート・フィリップが、担当楽器として表記していた言葉 ) が、決して多くはないエフェクターによって実現されているのは何とも意外だった。

ツイッターの通り、階段にへばりつく “ るしゃ ” 
難波ベアーズは地下にある





------------------ るしゃ @LeChatPrince 10月30日

大阪ライブでした。日本でのライブが久しぶりすぎて始まる前かなり緊張して階段にへばりついていましたが、始まればすごく楽しくてわざわざ来てくださった方もたくさんいて暖かい感想もたくさん頂いてほんとうにほんとうにうれしかったありがとう愛 


“ るしゃ ” は当然のように、ライヴ中の声を変調させており、MC 時とは全く違う声でヴォーカルを取っている。また、実際には歌っていないことも多く 、いわゆるリップ シンクも多かった( ? ) ように思う。
初音ミクは基本的な扮装のデフォルトとして、ヘッドフォンを付けているのだが、これで大音響のノイズの中でもメロディ ラインを確認できる とも、ヴォーカル ガイドを聴いている とも思えるが、いずれにしても、そもそも雰囲気アイテムであったヘッドフォンに、明確な装着理由が生まれた という点が面白い。


ここからいきなり、アイドル試論へシフトします !  ( 苦笑 ) 
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アイドルとは生まれてくるものである。つまり、アイドルとは生まれながらにアイドルなのだ。それゆえに、努力や鍛錬の結果、習熟していく他の表現領域とは根本的にそのありようが異なる。音楽的才能が皆無のアイドルによる歌唱やとんでもないダイコン役者のアイドルが出演する映画や舞台があったとしても、そのアイドルが生まれながらのアイドルであれば、そこには必ずファンが存在し、必ず需要が生まれる。そもそもアイドルとは宗教的なニュアンスから派生した言葉であり、現在のような使われ方のルーツは米合州国のエンタテインメント業界にある。日本ではむしろスターという呼称の方が一般的だった。そしてアイドルとファンの関係は、言うまでもなく宗教的である。

それにしても、この “ るしゃ ” が見せるヴォーカロイドとしてのたたずまいやロボットダンスの動きは、猫 ( Le Chat ) と名乗るだけあって、とにかく圧倒的に “ 可愛い ”。アイドルの世界観の中で “ 可愛い ” は最大の正義であって、それこそ何ものにも勝る価値である。この “ るしゃ ” というレイヤーは自らの武器に十分、自覚的であり、得難い存在感を獲得している。
そしてこれが、やっぱりアイドルのイヴェントなのだな と痛感させられるのは、ライヴの後に控えているチェキ会である。JOJO 広重が MC で、“ あと3曲です ” と宣言した際、フロアでは一様に “ え~!! ” という声が挙がったが、それを受けてすかさず “ 本当は、この後のチェキ会の方が楽しみのくせに ” と苦笑交じりにコメントしていたけれども、それもまた全く正しいと納得できるほどに、“ るしゃ ” の可愛さは際だっている。
“ るしゃ ” がレイヤーとして体現しているキャラクターは、日本人の女の子ならではの可愛らしさ( アイドルに限らず日本人の女の子の可愛らしさは世界イチ との定評があるが、いわし亭はその意見に全面的に賛成だ ) と欧米人並みの ボン! キュッ! ボン! というスタイルをあわせ持っていて、正にアニメから抜け出てきたようである。“ るしゃ ” がアニメを三次元化するために払っている努力や犠牲が半端ではないということは、すぐさま理解できるだけに、その役割意識はさすがだとも思う。
そしてこの二次と三次を縦横無尽に行き来する現実感の乏しさこそ、まさに三次元立体フォログラフの中に登場する初音ミクにオーヴァーラップするものだ。

三次元立体フォログラフの初音ミクと中田ヤスタカのプロデュースする perfume やきゃりーぱみゅぱみゅとの間にはもはや境界線がない。ヴォーカロイドが人間に近づこうとし、人間がロボットの動きを模し、最終的にそのどちらでもないマージナルな表現領域が獲得されたわけだが、これはかつて ’60 年代の終わりにアンディ・ウォーホルが稀代のロックバンド ヴェルヴェット アンダーグラウンドを得て画策した音楽 ダンス フィルム 照明、そして聴衆をも巻き込むマルチメディア イベント “ エクスプローディング プラスティック イネヴィタブル~爆発 人工的 必然 ” と言う言葉を想起させる。
いわし亭には、このプラスティック ≒ 人工的 という言葉に彼女たちのイメージがモロに重なるのだ。すべすべした人工的な偽物感覚は perfume やきゃりーぱみゅぱみゅの非人間的な動作やセルロイドのお人形の様な外観に濃厚だが、一方アイドルとしての彼女たちが性的対象として担う肉の部分がこのプラスティックの外観に無理やり押し込まれているという二律背反イメージの奔流は実に興味深い。
例えば、映画 『 日々ロック 』 ( 監督 : 入江悠 ’14 年 ) の二階堂ふみは、この作られたプラステック感覚と生身のアルコール中毒の女子という二面性を実にうまく演じている。

’73 年 1 月、『 平凡パンチ 』 に今となっては伝説とさえ形容されるヌード写真が掲載された。麻田奈美の “ りんごヌード ” である。今日的な意味でのヌードルでありながら、同時にトップアイドルとしても君臨した彼女の存在は空前絶後であり、ポスターにもなったこの “ りんごヌード ” は、’70  年代の男子の部屋には必ず貼られているとまで言われた。一世を風靡した麻田奈美はしかし、今見ると、やはりバスト、ヒップとも相当に豊満な印象を受けるのだ。
あるいは、’75 年 6 月に初代クラリオン ガールに選ばれ、同年の CM 出演によって、爆発的な人気を博したアグネス・ラムも同様、健康的に日焼けした小麦色の肌と豊かなバストは、生身の感覚が強く、実在する女の子のサガをきちんと感じさせてくれる。二次元のアニメの中で躍動し、レイヤーが挑み続けるキャラクターたちは、彼女たちに較べるとバストの豊満さに比べて体幹が痩せ過ぎの印象があり、そのありえない非現実感ゆえに、やはりプラスティックな印象の方が強いのだ。そして、21世紀型アイドルのヴィジュアルは麻田奈美やアグネス・ラムから確実に人工的なものへとシフトしており、そこに挑み続ける彼女たちの試練もまた半端なものではないのである。

また、アイドルには賞味期限がある というのもまた、何とも刹那的で良い。後藤まりこや大森靖子はアイドルとの共演が多いことでも知られるが、彼女たちはそろって、“ 女の子でいられる時間は限られている ” ということを繰り返し、発言している。
大森靖子がドリームズ カム トゥルーの楽曲をカヴァーした 『 私とドリカム ― DREAMS COME TRUE 25th ANNIVERSARY BEST COVERS ― 』に参加した経緯から実現した中村正人との対談では、実に秀逸な会話が引き出されている。
ここで “ ブルーズ ” を “ 刹那 ” と言い換えた二人の言語感覚は見事だ。そして、この会話だけでも凡百のアイドル論を遙かに凌駕する破壊力を備えていると思う。

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大森 : 女の人は、いつか失ってしまうって思ってるからブルーズが若いときに来るんですけど、男の人はあとで来るんです。だから私、おじさんと若い女の子が好きなんですよ
中村 : なるほどね。女の子は若いときに刹那があるんだ
大森 : そうなんですよ。で、男の人はおじさんのほうが刹那があるんです


実はいわし亭もこういうのは、嫌いな方ではない。とりあえず、ロボットみたいなポーズをリクエストして、撮ってもらったチェキ。なんだかうまくいかずに、苦笑気味なのが、可愛らしい。それにしても、いわし亭、デカ過ぎ。いやいや、 “ るしゃ ” が小柄過ぎるのだ ( 苦笑 )


共演の細胞彼女もアイドルらしい元気いっぱいのライヴを展開

------------------ JOJO 広重 @jojo_hiroshige 2014年10月30日

初音階段&細胞彼女終了、多数来場ありがとうございました。大いに盛り上がりました!「千本桜」がいい感じで演奏できてよかった。明日は秋葉原グッドマンです!よろしくお願いします!













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