2016年11月25日金曜日

大森靖子から工藤ちゃんへ


イベント フライヤー
“ その名はスペィド ” と “ リアル 3 区 ” を見るために参加した TEKUMAKUMAYACON VOL.02。特に “ リアル 3 区 ” は関西初上陸と言うことで、“ ぐしゃ人間 ” のギター “ 亀 ” の活動を見守ってきた身としては、それが地下アイドルのイベントであっても不問だったのだ。ところが、このイベントには思わぬ出逢いがあった。正に瓢箪から駒というか、久しぶりにドキドキさせられ、こういうことがあるから集合イベントは侮れない と再認識させられた。出演者が 19 組にも及ぶロングランイベントだったので、とりあえず大森靖子絡みの “ ぱいぱいでか美 ” あたりからでいいか と考えたが、それ以外にも事前のネット検索で目を付けた演者の中に、“ 工藤ちゃん ” がいたのだった。
工藤ちゃんといえば、我々オヤジ世代はストレートに松田優作 『 探偵物語 』 の工藤俊作なのだが、今年で 22 歳の工藤ちゃんがそのことを知っているとも思えず、単純に今迄、その愛らしい容貌から仲間内で工藤ちゃんと呼ばれてきたのだろう と想像する。

帰宅してからネットでもう少し詳しく調べてみると、大森靖子も関係している “ ミス iD ” のファイナリストということで、だったらまぁ可愛いのは当然といえば当然なのだし、ファイナリストという人種は実は世の中には結構いるんだろうけれど、シンガーソングライターのスタンスで活動しているアイドルとなると少ないかもしれない。最近は、大原櫻子の成功事例に乗っかって、業界でもギター女子という仕掛けが粗製乱造されているが、この路線なら最高峰は当然、わが最愛の大森靖子以外、ありえない。
そして驚くべきことに、工藤ちゃんは大森靖子の熱烈なシンパで ( そのことは、4 : 44 と印字された帽子をかぶっていた時点ですぐに分かった ) 、ライヴが進むにつれ、そのレベルが、まじハンパないことを痛感させられた。それまでの演者が全員、カラオケで他人の曲なんかを歌っていたのに対して、弾き語りで登場しただけでもかなり異色なのに、その歌の内容が大森靖子を彷彿させるオリジナルだったら、そらインパクトはモノ凄いに決まっている。
MC も自己嫌悪的に ぐ~っ と深いところまで落ち込んでいく感じもあり、その凄まじい脱力感は確かに不思議ちゃん要素に満ちている。けれども、実際にはフロアの笑いを度々誘っていて、この展開はすでにファンの間では定番的なものに落ち着いているのか? ところが、ひとたび歌い始めると、大森靖子のエピゴーネンに過ぎる という難点はあるにしても歌唱力、歌詞、メロディとも随所に光るモノが見つかるのだ。それは表現者の資質として、大森靖子と同じリアルな匂いを感じる ということである。工藤ちゃんは、“ 劣化コピーだといわれまくっているけれどコピーしているつもりは全くない、ほとんど大森さんしか聞かないから影響はとても受けてるかもしれないけど… 私は他人のことを歌う歌は基本的に作れないしグッとくる言い回しも思いつかない、ただただ自分が気持ちいい歌を気分で作ってるだけだよ~ ”  とツイートしているが、この表現の対象を自分自身に限定していく という手法こそが大森靖子そのものであり、ありきたりのようでいて実は、昨今、あまり見かけないスタイルなのだ。また、劣化コピーでもなんでも、いわし亭にしてみれば、大森靖子と出逢って 4 年、とうとう彼女の継承者が現れた というのはとても嬉しい事実であり、感慨深くもある。そもそも、大森靖子にしても福岡でエイヴェックスにスカウトされ、メジャーデビューするまでの扱いは相当ひどいもので、大森靖子が積極的に報復に出るという経緯はあるにしても、ネット上には彼女のアンチがうようよいて、罵詈雑言、炎上騒ぎなどは日常茶飯事だった。 

 『 Sgt.ペッパーズ ロンリーハーツ クラブバンド 』 の内ジャケット。
明らかにストーン状態 にあるザ ビートルズ
通常、表現に向かう場合には、二つの選択肢がある。一つは、“ 作りこまない ” で、生身の人間 ( 自分 ) そのものを “ さらけ出してしまう ” という方法。もう一つは “ アルターエゴ ”、つまり本来の自分とは全く別の人格を作り出し、その人格を演じるという方法。

デヴィッド・スターマン・ボウイ
音楽の世界に限定すると、’60 年代の音楽はジャズにしてもロックにしても演奏家自身が体感したリアルな感覚をそのまま音に置き換えるという作業が中心だった。アスペルゲンガー症候群であったピンクフロイドの初期リーダー シド・バレットや 『 Sgt.ペッパーズ ロンリーハーツ クラブバンド 』 の内ジャケットで明らかにストーン状態 ( 目がヤバい! ) にある写真を使ったザ ビートルズ、あるいはサボテンからとれる幻覚剤メスカリンの体験を著したオルダス・ハクスリーの 『 知覚の扉 』 からバンド名を取ったドアーズ、等々、サイケデリックなどと呼称されたサウンドの多くはクスリの服用体験と不可分の関係にあった。一方、’70 年代以降の音楽はよりプロフェッショナルな方向へと舵を切り、例えばデヴィッド・ボウイは、ジギー・スターダスト以降、何度もそのキャラクターを変貌させながら、いくつもの別人格を生きたし、キングクリムゾンの総帥 ロバート・フィリップは音楽を頭脳支配的なものとして科学的に定義し直し、圧倒的な技術志向の上に、宗教や神秘体験を再現した。
“ セックス ・ ドラッグ ・ ロックンロール ” という慣用句は、’60 年代には本来の意味を伴って機能したが、’70 年代以降のそれは本当に自堕落で破壊的な性格や人生がもたらすものではなく、偽物をより本物らしく見せる “ アルターエゴ ” のプロフェッショナルな技術革新によって表現されてきたものだ。ロックが非常に優れた音楽である証左は、こうした流れの中で必ず大きなカウンターあるいは揺れ戻しが起こることである。アルターエゴが進化して何のリアルも感じさせないビジネスエゴと化し、頭でっかちで、大人の楽しむ、退屈でカビが生えたようになっていたロックは、セックスピストルズの出現と同時に第二次ブリティッシュインヴェンションつまりパンクロックの洗礼を受ける。生身の身体観と肉声を取り戻したロックは、セックスピストルズが P.I.L. へと歩みを進める中でオールタナティヴという多様性を獲得し、世界中の民俗音楽やノイズ、ジャズ、現代音楽といった様々な音楽と交配を繰り返して、複雑怪奇な魑魅魍魎へと変貌してくのだが、それはまた別の機会に…

“ 作りこまない ” “ さらけ出してしまう ” という感覚は、大森靖子の作品を語る時、ことさら重要な要素になる。例えば、小学校六年生の時の衝撃的過ぎる初体験の話とか、自分の中にいる “ オヤジ ” 的美少女嗜好のこと、銀杏 BOYZ の峯田和伸宛てに執拗に送られた電子メールの話等々、黒歴史と呼んで差支えない壮絶な十代を送っていることが、ネットを検索するといくつも見つかるのだが、これらは全て大森靖子自身の口から語られている。

大森靖子と吉田豪、朝井リョウ

トレンドニュース ( GYAO 2016 年 3 月 23 日 20 時 44 分配信 ) の吉田豪とのインタヴューで

吉田 大森さんの本にはもっと衝撃的なことが書かれてましたよ! 基本、隠しごとのない人だからそりゃあ本もおもしろくなりますよね。

大森 隠しごとはないですね。それ、普通だと思ってたらタヒさんに 「 隠しごとがないのはすごいことだから 」 って言われて、「 そうなんですか! 」 って。でも、見られてマズいものはよくよく考えれば何もないはずなんですよ。べつに裸もなんてことないし

吉田 そういえばニューアルバムの豪華版のブックレットに妊婦ヌードを載せてましたよね

大森 ああ、あんなの何とも思ってない。いちいち隠すの面倒くさいな、ぐらいの

そしてこうした経験が血肉化された大森靖子の歌は、強くまたリアルである。大森靖子の弾き語りが、バンドサウンドを凌駕する瞬間が往々にしてあるのは、彼女の持つ熱量がバンドという虚構を簡単に乗り越えてしまうからだ。2015年3月の名古屋のライヴで、初めてバンドサウンドに圧倒されている大森靖子を目の当たりにして、物凄い違和感だったのだが、実はその時、彼女は妊娠していたのだった。

大森靖子は 『 ROLa ( ローラ ) 』  2014 年 7 月号で 『 ポップでしみる歌詞の世界 』 というテーマで直木賞作家の朝井リョウ ( 大森靖子には優秀な作曲家・作詞家・歌手、3 人分の才能が集まっているとし、「 彼女が小説家でなくてよかった 」 とまで語った ) と対談しているが、ここではそれまでと一転して

大森 身を削ってる奴なんかいるわけないじゃん ( 笑 )

朝井 曲のなりたちに深い生まれた理由を求められたりとかしません ? 浜崎あゆみ、昔の恋人ほんとに亡くしたのかな とか、まんまと思っちゃったりしてね

大森 みんなたぶん、自分のことを書いた、意味のある作品が好きなんだと思うんですけど、私は意味のないものが好きで

とかとか、語っていて、つまりは歌詞の内容と作家の人生を結び付けられても困る というような発言をしている。歌詞の中の主人公はアルターエゴだと言うのだ。この記事には相当がっかりさせられた記憶があるが、先に挙げた吉田豪とのインタヴューは朝井リョウとの対談のさらに後なのだから、始末に困る。結局、大森靖子は “ 作りこまない ” “ さらけ出してしまう ” という資質を根本的に持っていて、シンガーソングライターとして進化する中で、それをアルターエゴを介在させて作品へと編集・加工するテクニックを磨いた と一応、結論付ける。
 
リアル3区~手前のギタリストが “ 亀 ”  

大森靖子に特徴的なこの “ 作りこまない ” “ さらけ出してしまう ” という感覚は、表現者の資質としては相当、重要 ( 少なくともいわし亭はそう確信している ) だが、工藤ちゃんの歌は、それをいとも簡単にクリアしている。これは凄いことで、例えば、TEKUMAKUMAYACON VOL.02 の他の演者で、この資質が見られたのはわずかに “ リアル 3 区 ” くらいだが、彼女たちはその作品と自らの生活が地続きである という点でリアリティを担保しているに過ぎない。そもそもレベルミュージックであったラップをやる以上、それは必要最低限の手続きなのだ。では、その他の演者のパフォーマンスがアルターエゴを駆使したものなのか というと、所詮は地下アイドルであり、当然のことながら全くもってお話にならない。それをかろうじてクリアしていたのは、“ その名
はスペィド ” “ 大石理乃 ” “ ophelia 20 mg ” あたりだろうか。良く分からないのは “ 大石理乃 ” だが、メジャーとして活動した経験があり、頭のいい人だけに、やはりエロ話などをはさむことで“さらけ出して”いるように見えて、実はかなり計算している。

“ その名はスペィド ” のアリスト・ジゼルの雄姿
工藤ちゃんのリアルがもたらす破壊力は他の演者が気の毒になるくらい圧倒的であり、このインパクトはかつて “ 日本マドンナ ” に感じたものに近い。つまり、これこそがいわし亭にとってのロックであり、パンクである。しかも工藤ちゃんの場合、これにアイドルとしての可愛らしさとトンでもない脱力感が加わる。
“ 作りこまない ” “ さらけ出してしまう ” ことは音楽性にとどまらず、実はステージの後半で水着姿になる というパフォーマンスにも直結している。もちろん、これは“ミスiD”ファイナリストという容姿に加え、まだ 20 代前半という強み でもあるのだが、この “ 脱ぐ ” という選択をした時点で、工藤ちゃんは他の演者のさらに先を行っている。ただ、まぁそれはそれとして、可愛い女子の水着姿というのは、単純に嬉しいという点でも、たいへん重要ではある。
“ その名はスペィド ” のアリスト・ジゼルは、基本的に極めて露出度の高いセパレート、あるいはすごい切れ込みの入ったワンピースの水着のような、あるいは身体に張り付いたような白のシースルーのドレスをステージ衣装 ( ? ) に選ぶ。スレンダーな女性なので、胸のボリュームが圧倒的に足りないのが残念だが ( 失礼! )、その衣装はある意味、“ クレイジーホース ” ( フランス・パリにある、世界的に有名な観光ナイトスポットで、数あるパリのナイトクラブの中では老舗の1つ。扱うテーマは女性のヌードショウでありながら芸術性を伴ったストリップショウであり、他のテーマを扱う同類のものとは一線を画している ) のレビューショーを思わせ、完成度の高いステージを作り出す上で、重要な要素の一つになっている。ここまで来ると、もはや完璧なプロのビジネスエロである。


アイドルイベントでは水着姿で歌う “ 工藤ちゃん ” ~ “ 工藤ちゃん ” は、なにげに別嬪さんです

しかし、実際には剥き出しのスキャンティ姿よりも、日常のなにげない風景の中、風でスカートがめくれて見えるスキャンティの方がはるかにエロさを感じさせるように、あるいはそこに見られたくないという羞恥が加わることによるサディズムとマゾヒズムの共犯関係こそがエロの本質ではあるまいか。工藤ちゃんの水着姿は、“ クレイジーホース ” や “ その名はスペィド ” がショーとして見せているもの、あるいは裸体こそが衣装そのものである AV 女優とは真逆であり、だからこそとんでもなくエロい。工藤ちゃんの腰の張りは若さが弾けるようで実に素晴らしいが、かなりスレンダーな女性で、胸のボリュームが圧倒的に足りないのが残念 ( 失礼! ) だが、逆にそこから立ち上る何とも薄幸なイメージに工藤ちゃん特有の不思議ちゃん的風情が加味されることにより、これはもう正に日本語でいうところの “ いやらしい ” という次元に突入していて、いわし亭のドエス心の一番深いところにビンビン、突き刺さる ( 苦笑 ) しかも驚くべきことに、何とこの恰好のままで物販に突入する。アイドルの物販では定番とも言えるチェキ会だが、工藤ちゃんのこのサービス精神満点の対応は、単純にうれしい ( 笑 ) アイドルという記号の本質は、性の切り売りであり、性の商品パッケージ化でしかないワケで、そのことを工藤ちゃんは自分自身を玩具化していくことで、白日の下にさらけ出している。その意味で、工藤ちゃんが自分自身をアイドルではない と繰り返し発言するのも、何となく分かる気がする。


2016 年は 
6 月に sugar ’N’ spice の K ことヴォーカルの Kyao が体調不良でセミリタイア7 月に後藤まりこが音楽業界からの完全引退ex 日本マドンナのまりながギターを弾いていた “ ゆゆゆゆゆゆん ” が活動休止、8 月に黒木渚が喉の不調で一定期間の活動休止宣言、10 月には TADZIO が活動休止 … いわし亭にとっては正に断腸の連続だった。

しかし、今夏、工藤ちゃんに出遭えた。残り三分の一は、幸せに過ごせそうだ。


※ 工藤ちゃんはほぼ毎日、都内のどこかであるいは地方遠征でライヴを行っている。詳しくは以下のサイトでご確認を!









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