2014年10月3日金曜日

ラヴ ソングが文学にかわる瞬間 ~ JOY DIVISION


0.8秒と衝撃。で
唄とモデル担当の J.M.
地方のロック フェスティバルで “ 0.8秒と衝撃。 ” の元気いっぱいのライヴに参加し、その後、メンバーと話ができた。ヴォーカルの塔山忠臣が JOY DIVISION のファーストアルバム 『 Unknown Pleasures 』 のジャケット デザインのTシャツを着ており、好きなのかな? と興味がわいたのだ。ライヴの後、彼はすぐに帰京してしまったらしく、物販には 唄とモデル担当の J.M.しかいなかったのだが、それでもいろいろお話ができた。
“ ピーター・フックのバンド ( おそらく REVENGE ) と対バンした ” と、あっけらかんと言ってのける J.M.に平成を感じたが、今の J-Pop の立ち位置みたいなものも伺えて、面白かった。対バンの際、ピーター・フックから直々にバンド T シャツをもらったのだが、別のライヴでその T シャツを着ていた塔山は、ライヴの出来が良すぎて興奮のあまり、その T シャツをフロアに投げてしまったらしい。
あ~ッつ!! って感じでした ( 笑 ) と。  

いわし亭が学生だった頃、結局、国内盤が出る気配がまるでなく、梅田の外れにあった輸入盤屋で高価なイギリス盤を買い求めた 『 CLOSER 』。ジャケットはエンボス加工のふわふわした紙で、意外に豪華な仕上がりだった。歌詞カードは付いておらず ( 歌詞は楽曲を構成する 1/4 でしかなく、ただの音であるというイアン・カーティスの意向だったらしい )、まさに音として聞いていた沈みきったヴォーカルを思い出した。


1976 年 6 月 グレーター マンチェスター サルフォードで結成

イアン・カーティス ( Ian Curtis )  ヴォーカル、リリック
バーナード・サムナー ( Bernard Albrecht ) : ギター キーボード/アルブレヒトはナチスに因んだ JOY DIVISION でのメンバー名
ピーター・フック ( Peter Hook ) : ベース
スティーヴン・モリス ( Stephen Morris )  ドラム/ステファンと記載されていることも多い。ここではスティーヴンに統一する

スティフ キトゥンズあるいはワルシャワと名乗っていたデビュー当時の彼らは、いわゆるピストルズ ショックを受けて雨後の筍のように現れたただの演奏の下手なパンク バンドでしかなかった。しかし、THROBBING  GRISTLE のジェネシス・P・オリッジはバンドの黎明期から彼らに注目していた。
また、インダストリアル ミュージックの雄 ジム・フィータスはオーストラリアから渡英直後、彼らのデビューライヴに偶然参加し、歌えば歌うほど異様なまでに落ち込んでゆくイアン・カーティスのヴォーカルを聴いて、一生忘れられない程の印象を持ったという。


1978 年 1月 7インチ デビュー シングル 『 An Ideal For Living 』 を自費プレス  

ファクトリー レコードと契約を結ぶ。
ファクトリー レコードは、洗練されたアート デザインが統一的なレーベル イメージを醸し出して、独自のステータスを確立していた当時、新進のインディペンデント レーベルである。デザインはピーター・サヴィルによるもので、彼はファクトリー レコードの専属デザイナーからそのキャリアをスタートさせたが、手掛けたデザインの全てが印象的で、美的センスの優れたものであった。

JOY DIVISION レーベル プロデューサー マーティン・ハネットが使いこなしたレコーディング システム A.M.S.( Advanced Music Systems ) によってバンド独自の耽美的な音世界を完成させ、ファクトリー レコードの中心的存在となっていく。
同時期のライヴ盤を聴く限り、この世界観はやはりスタジオ盤に特有のものであることが分かるが、それほどにマーティン・ハネットが JOY DIVISION にもたらした音響プロデュースの効果は絶大であった。凍てつくようなシンセサイザーの音色、リズムセクションにエコーを効かせたダブ処理、イアン・カーティスの沈み込むような陰鬱な声質は、他の凡百のバンドから JOY DIVISION を完全に切り離したのだ。
スタイルとして完成された JOY DIVISION の個性はその活動期間こそ短かかったものの、’70年代末期のポストパンクを代表するバンドの一つとして、後のオルタナティヴ ロックに多大な影響を及ぼし、世界各地に彼らのエピゴーネンを出現させることになる。

音響効果をベースにしたプロデュースという点で、マーティン・ハネットのスタジオ ワークは、ロキシー ミュージックの 『 アヴァロン 』 で印象的なエコー処理を施したミックス エンジニアのボブ・クリアマウンテン、ベーシスト 盟友バーナード・エドワーズとのコンビで、シャカシャカと切れの良いリズム ギターを得意とし、マドンナの 『 ライク ア ヴァージン 』、デヴィッド・ボウイ 『 レッツ ダンス 』 を皮切りに ’80年代後半を席巻したナイル・ロジャースと並んで、最大級に評価できる。 


1978 年 6 月 JOY DIVISION を名乗る

各方面で物議をかもした JOY DIVISION ~ ジョイ ディヴィジョンというバンド名はナチス・ドイツの強制収容所内に設けられたユダヤ人女性を性奴隷にする “ 快楽区 ” に由来する。
ポーランド出身のイディッシュ語・ヘブライ語作家イェヒエル=デ・ヌールがカ・ツェトニック 135633 の変名で 1953 年、発表した 『 HOUSE OF DOLLS - ダニエラの日記 』 ( または 『痛ましきダニエラ ― ナチに虐げられたユダヤ娘の死の記録 』 ) ( 蕗沢紀志夫 訳 ) の中からバーナード・サムナーが拾い出した。彼に拠れば、“ ひどく悪趣味だけど… パンクだ ” と感じた、とのことで、言わば若気の至りというやつである。
デ・ヌールの最も有名な作品の一つである本作のモデルは、ホロコーストで亡くなった著者自身の妹であり、その変名は虜囚を意味するイディッシュ語に自身の囚人番号を組み合わせたものである。デ・ヌールは、1961 年 6 月、アドルフ・アイヒマンの裁判に証人として出廷したが、質問に答える前に証言台で失神してしまった。デ・ヌールにとってナチスの記憶を語ることは、それほどに精神的負荷が高かったのだ。

『 Unknown Pleasures

1.Disorder
2.Day of the Lords
3.Candidate
4.Insight
5.New Dawn Fades
6.She’s Lost Control
7.Shadowplay
8.Wilderness
9.Interzone
10.I Remember Nothing







1979 年 6 月発表。
ピーター・サヴィルのアートワークは、パルサー  ( 超新星の爆発後に残った中性子星が放つ、パルス状の可視光線や電波 ) の波形を用いたものであり、ヴェルヴェット アンダーグラウンドやロキシー ミュージックのデビューアルバム、デヴィッド・ボウイ 『 ダイヤモンドの犬 』 といったロック史に残るジャケットと肩を並べても遜色ない。このジャケット デザインこそ、ピーター・サヴィルの作品の中で最も有名なものの一つであり、多くのオマージュ作品を生んだ傑作と言えよう。オリジナルのアナログ ディスクでは、このパルサーの波形はもっと小さく控えめにセンターやや上方に配置されており、ジャケットの台紙にはエンボス加工が施されて、触った際の質感が凄かった。
1979 年の全英アルバム チャートでは最高 71 位、インディー チャートでは第 1 位を獲得しており、『 ローリング ストーン 』 誌が選んだ  「 オールタイム ベスト デビュー アルバム 100 」 において第 20 位。 

低音がこもってしまいよく聞こえない という理由から、高音弦を用いたメロディアスなフレーズを得意にしていたピーター・フックのベースが、アルバムの一曲目から勢いよく飛び出し、非常に良く鳴っている。
この対位法的なベースとギターのアンサンブルは、イアン・カーティスの発案と言うことだが、JOY DIVISION の楽曲作りに関しては、イアン・カーティスのモニター能力が大いに活躍したとピーター・フックは語っている。“ イアンが全てのリフを見付け出したんだ。バンドが即興演奏をやる、するとイアンが演奏を止めて < 今のは良かった。もう一度やってくれ > と言う。そんな練習の中から 「 シーズ ロスト コントロール 」 などの数々の印象的なフレーズが生まれた。彼がいなければ、彼の耳なくしては、僕らはそれを一度演奏したきりで二度とやらなかっただろう。たいていは、それを演奏したことさえ覚えていなかったに違いない… だけど、彼は気付いていたんだ ”
セックス ピストルズのグレン・マトロック、ザ ストラングラーズのジャン=ジャック・バーネルもそうであったが、パンク バンドのベーシストには意外や意外、作曲もできるテクニシャンがいる。一方で、シド・ヴィシャスやクラッシュのポール・シムノンの様にカリズマ性のみで記憶に残るミュージシャンを輩出したパートでもあるのだが…
加えてバーナード・サムナーの奏でるギターの音色、スティーヴン・モリスのリズム マシンを思わせる無機的なドラミング。マーティン・ハネットが施した音響トリートメントが見事に功をしている。
ハネットの音響プロデュースを独占出来たこと、デビューアルバムのジャケット デザインの信じられないオリジナリティ、等々を思う時、JOY DIVISION は単にラッキーなだけのバンドだったのか ? といった素朴な疑問は当然、起こる。
しかし、このデビュー アルバムを体験すれば、そうした疑問を払拭して余りある完成度に驚かされるだろう硬質なドラムの響きで幕を開けるオープニングの 「 Disorder 」 から、ロック的な快感原則にあまりにも忠実な 「 She’s Lost Control 」 「 Shadowplay 」 と、まさに聴くことを止められない脅迫的な 40 数分間が続く。
ところが、当の主役であるピーター・フックとバーナード・サムナーは “ 暗過ぎて、とても楽しめない。こんな暗いアルバム、誰も聴きやしない ” と思っていたというのだから面白い。世界でたった二人だけが、このアルバムを気に入らなかったわけだ。ただ、この暗さはイアン・カーティスの持つ資質に起因するところが大きい。演奏だけを取り出してみると、ちょうどパンクの嵐が沈静化し、ニューウェーヴの萌芽が垣間見られる正にその端境期に現れたバンド ということが良く分かる。
1978 年 1 月、ジョニー・ロットンはセックス ピストルズの空中分解に際して “ ロックは死んだ ” と発言したが、そのマニフェストによって荒涼とした原野に置き去りにされた殉教者たちが、このアルバムに救いを求めたのは当然の帰結だった。


1980 年 5 月 18 日 月曜日 イアン・カーティス 急逝

内省的な歌詞を書きヴォーカルを担当していたイアン・カーティスが、初のアメリカ ツアーに旅立つ前日、栄光の日々を目前にして、わずか 23 歳で急逝。持病の癲癇の悪化や鬱病、大量の投薬による情緒不安定 ( イアンのステージにおける独特なアクションやダンスは明らかにこうした症状の上に成り立っている ) 、イアンと妻のデボラそして彼と交流のあったアニーク・オノレ ( アニック・オノレ との記載もあり )との三角関係、等々が理由とされている。彼の最期の言葉は “ 最初から死んでいればよかったのに。今、この瞬間にも、そう思える。これ以上無理 At this very moment,I wish I were dead.I just can’t cope anymore.
イアン・カーティスは、Q 誌の選ぶ歴史上最も偉大な 100 人のシンガーにおいて第 88 位。

ヴォーカリストを失ったメンバーは話し合いの末、音楽活動を継続することを決意。ただし、イアンの生前に全員で結んだ “ JOY DIVISION の名前でのバンド活動は、メンバーが一人でも欠けたら行わない ” という約束に基づき、ナチスの掲げた新体制 New Order をその名に冠した。
残されたメンバーの苦闘の歴史は、そのままエレクトロニクス ポップの歴史でもある。

New Order は 1983年、盟友の死を悼んで、彼の自殺した月曜日をテーマに 「 Blue Monday 」 という作品を発表、改めて追悼の意を表した。フロッピー ディスクを模したジャケット、デジタル ビートを強調したダンサブルなエレクトロと無表情なヴォーカルが特徴的なこの作品は、史上最も売れた 12 インチ シングルとされており、流通のスタイルが激変した今日、この記録が破られることはないだろう とも言われている。当時、いわし亭もジム・フィータスの 「 CALAMITY CRUSH 」 とともにヘヴィローテーションした一枚だ。


渋谷陽一がホストを務めた NHK - FM サウンドストリートの国内未発売洋楽リクエストで、一曲目にオンエアされた『 CLOSER 』 のオープニングタイトル 「 Atorcity Exhibition 」  のインパクトは絶大だった。曲名は J.G.バラッドの著作 『 残虐行為展覧会 』 から取られているが、デ・ヌールの著作にも 『 Atorcity ( 愛と虐殺 ) 』 がある。

輸入レコード店に足繁く通うようになった当時のいわし亭は、愛読していた FOOLS MATE の Special Stock part2 ( Vol.15 1981 年 1 月 25 日号 ) で読んだ森田一義氏の JOY DIVISION と BAUHAUS の記事を想起し、『 CLOSER 』 の購入を決めた。森田氏の原稿で印象的だったのは、イアンの自殺からまだ一年も経ていない時期の記事でありながら、イアンの自殺をことさらセンセーショナルに取り上げなかったことである。

“ イアンの死は、非常に個人的なことだ。故に、その原因を我々が知る必要はない。では、我々はそれをどのように理解すればいいのか。それは娯楽と理解すべきだ。人食いという娯楽に、イアンは肉体を提供しただけだ ”
今日、再度原稿を読み返してみても、その指摘の的確さは見事である。


CLOSER

1.Atrocity Exhibition
2.ISOLATION
3.Passover
4.Colony
5.A Means To An End
6.Heart And Soul
7.Twenty Four Hours
8.The Eternal
9.Decades








アルバムのオープニングに配置されたあまりにも印象的な 「 Atorcity Exhibition 」は、『 CLOSER 』 のジャケットに描かれたシーンの B.G.M.のように聞こえる。チェーンソウのような唸りをあげるバーナード・サムナーのギター、呪術を思わせるピーター・フックのベース、ノミを打ち込むように鋭いスティーヴン・モリスのドラム。そして、闇の奥をのぞき見るイアン・カーティスのヴォーカル。さらに、全体を貫くのは、プリミティヴな躍動感に満ちた邪教的な気配である。
ロック バンドとしては実にオーソドックスなカルテットでの演奏にもかかわらず、レーベル メイト(The Durutti Column、Happy Mondays、Orchestral Manoeuvres in the Dark、A Certain Ratio、等々 ) や当時ファクトリー レーベルに並ぶもう一方の雄 4AD ( BAUHAUS、Cocteau Twins、Dead Can Dance、等々 ) といったレーベルのバンドとも、何かが決定的に違っていた。


本作においてもレコーディング システム A.M.S.の効果は絶大で、リズムを強調したダブ由来のサウンド処理は、正にこの後、’80年代を席捲するディスコ ≒ ニューウェーヴの先駆けとも言える音色を獲得している。これはイアンがもたらした圧倒的な闇の世界観とは真逆のサウンド メイキングとも言え、この相反する二つの性格がまるで “ 天国と地獄の結婚 ” のように違和感なく成立しているところに JOY DIVISION の特殊な立ち位置がある。
優れた作詞家を失って、残された三人が再スタートを考えた時、このディスコ ≒ ニューウェーヴ路線を拡大する方向性を選択したのは言わば必然であった。

実際、いわし亭もまずこのダンサブルなサウンドに魅了された。大学時代に大阪ミナミのディスコに行った際もすでに New Order にシフトしてかなりの時間が経っていたにもかかわらず、敢えて JOY DIVISION をリクエストした程だ。歌詞カードがなかった関係で、いわし亭がイアンの詩の世界に触れたのはややあってからだった。その意味では、メンバーがイアンの詩についてあまり気にとめていなかった というのと似たような状況だった とも言える。

バーナード・サムナー : “ 僕らは彼の詞に耳を傾けたことはなかった。それはとても奇妙なことだ… 自分たちの演奏に必死だったんだ。理解しようとしたけど、ついていくだけで精一杯だった ” 
スティーブン・モリス : “ そこにはたしかに多くの感性が宿っていたけど、当時は、彼は自分の仕事をしているってことにすぎなかった。彼は作詞家だった。歌詞にはドラムを叩くことより意義があるのも事実だけど、それも仕事の一環だったんだ ” 
ピーター・フック : “ 結局は、僕は自分の仕事にあまりに没頭していたから、彼が日常は言わなかった何かを必死で僕らに伝えようとしていたことに気付かなかった 

アルバム自体はジャケットのデザインも含めて、イアン・カーティスの急逝より前に完成しており、正に痛恨の遺作となった。“ イアンの自殺を売り物にした ” といった一部のメディアの批判は全くの的外れである。
全英アルバム チャート最高 6 位 。1980 年末にニュー ミュージカル エクスプレス誌の特集で年間最優秀アルバムに選出されている。

「 LOVE WILL TEAR US APART 」

2002 年のニュー ミュージカル エクスプレス誌において、ロック史上最高のシングル曲に選定された JOY DIVISION 最大のヒット である ( 1980 年 5 月 英シングル チャート最高 13 位  

検索してみるとすぐ分かるが、The Swans、THE CURE 、Arcade Fire & U2、David Bowie、等々かなりの数のカヴァー ヴァージョンにヒットする。驚かされるのは、イギー・ポップとバーナード・サムナーのコラボレーションだが、彼らのような大物アーティストですら無視できない何かが、この曲の中には見つかるのだろう。

一聴、すぐさまイアンの自殺と結びつけて解題することは簡単だ。確かにかなり深刻な内容が盛られた問題作ではある。しかし、歌詞はただの音であるというイアンの姿勢から、メンバーでさえ、これを彼の心情吐露とは考えなかったという。

ピーター・フック : “ 「 LOVE WILL TEAR US APART 」 は 3 時間で書き上げた。ある夜、僕らがあのリフを思い付くと、イアンが言ったんだ < 僕にアイディアがあるんだ > って。彼が目の前で歌ってくれた時、僕らはあれがデビーとアニークについてのものだとは思わなかった。ただこう思ったんだ。なんて素晴らしい曲だ。 いいぞ、イアンがまたやってくれた、って 


イアンの極めて私的な心の葛藤をモチーフとしたこの作品は、“ 愛は、またしても僕たちを引き裂く ” という逆説的なリフレインを繰り返すことで、ラヴ ソングが文学にかわる瞬間を奇跡的に捉えている。
つまり、ここで歌われていることは、極めて個人的な私小説のような内容からスタートしているけれども、結果的に多くの人々の感情を揺さぶる普遍性を持っていた ということに他ならない。“ またしても  again ”  という単語には、このことは何時でも、誰にでも、何度でも 起こりうる という哀しい予感が込められている。< 愛 > ゆえに引き裂かれていく家族や恋人、友情や人間関係、社会関係からの隔絶、あるいは諦め、手離されていく野心や様々にわき起こる感情。そうしたものが、象徴的なキーワードによって、綴られている

楽曲はバンドの演奏がどこまでも登りつめていく高揚感の中、コーダを迎える。最後のシングル曲を歌い終えたヴォーカリストの魂を残された三人の JOY DIVISION が天上の高みにまで誘うイメージは、正にレクイエムの様でもある。


When routine bites hard          日常がつらくなり
and ambitions are low           野心も消え失せて
And resentment rides high         怒りが高まっても 
But emotions won't grow          感情がついてこない 
And we're changing our ways,       僕たちはやり方を変え
taking different roads          別の道を歩み始める
Then love, love will tear us apart again 愛は、愛はまたしても僕たちを引き裂く
Love, love will tear us apart again    愛は、愛はまたしても僕たちを引き裂く
Why is the bedroom so cold        なぜ寝室はこんなに寒いのか
You`ve turned away on your side.     君は背を向けて眠る 
Is my timing that flawed?         僕のせいでひびが入り
Our respect run so dry.          尊敬し合う心も乾くけど
Yet there's still this appeal that    まだ惹かれているから
We've kept through our lives       僕たちは共に暮らしている
But love, love will tear us apart again  けれども愛は、愛はまたしても僕たちを引き裂く
Love, love will tear us apart again    愛は、愛はまたしても僕たちを引き裂く 
You cry out in your sleep         君は眠りの中で叫んでいる
All my failings exposed          僕の失敗をことごとく暴露した
And there's a taste in my mouth      口の中に苦味が残る
As desperation takes hold         自暴自棄に陥ると
Just that something so good just     うまくいっていたことが それ以上機能できなくなる 
can't function no more. 
But love, love will tear us apart again  けれども愛は、愛はまたしても僕たちを引き裂く


2012年、ニュー ミュージカル エクスプレス誌の 『 ソング ストーリーズ 』 シリーズで、インタヴューに答えたピーター・フックは、以下のように語った。
“ ( 「 LOVE WILL TEAR US APART 」 の歌詞が ) あまりに刺々しくて、悪意に満ちていることに衝撃を受けた ” “ これは性急に書かれた曲だったんだよね ” “ 正直言って、この内容に踏み込んで分析してみたのは、自分で歌うようになってからなんだけど ” “ この曲が自分に向けて書かれたものだったら本当に嫌だなあと思うよ ”

 

アートワークは例によってピーター・サヴィル。「 LOVE WILL TEAR US APART 」 のジャケットでは、イタリア ジェノヴァのスタリエノ墓地にある彫刻 ( 写真 ) が使われているが、デザイン自体はイアンが亡くなる前から決まっていたという。

故郷マンチェスター郊外にあるマックルズフィールド セメタリーに埋葬されているイアンの墓石には “ IAN CURTIS ” “ 18-5-80 ” “ LOVE WILL TEAR US APART ” と刻まれている。
この墓碑銘を選んだのは、他ならぬイアンの妻 デボラである。

デボラはイアンのデボラへの愛がイアンに自殺を選択させ、そのことでアニークや JOY DIVISION との関係を断ち、イアンが自分の許にやっと帰ってきたことを実感したのではないだろうか。
あるいは、イアンの自己愛がデボラをも含めたあらゆる関係との決別を意図して、自殺を選ばせた と考えたのかもしれない。しかし、それではあまりにも哀しすぎる。

“ 無理からぬことだが、この歌詞はメディアには、うまく行かなかった恋愛関係についての歌であると解釈された… 
火葬場で、私が墓石に刻むために選んだ語句をロブ・グレットン ( JOY DIVISION のマネージャー ) に伝えた時、彼は茫然としたが、その言葉は変えるところはほとんどなさそうで、私が言いたかったことすべてを要約しているように思われた。
< 愛が私たちを引き裂いていく > という表現は、私たちみんながどのように感じたかをとてもうまく表していた 
( デボラ・カーティス 『 タッチング フロム ア ディスタンス 』  より )

「 AtomosPHERE 」

葬儀の B.G.M.として非常によく使われるロック ナンバーの一つ。ピーター・フックは、ロビー・ウィリアムズの 「 エンジェルス 」  が結婚式で最も頻繁に使用される一曲であることに触れ、“ 本当に俺たちの方こそ 「 エンジェルス 」 を書きたかったなあ って正直、思ったりするよ ” と言うが、同時に 「 アトモスフィア 」 にもプライドを持っており、“ 自分の葬式でも、かけてもらうつもりだ ” と語った。

『 Substance 

1.Warsaw
2.Leaders OF Men
3.Digital
4.Autosuggestion
5.Transmission
6.She’s Lost Control ( 12 Inch Version )
7.Incubation
8.Dead Souls
9.AtmosPHERE
10.Love Will Tear Us Apart
11.No Love Lost
12.Failures
13.Glass
14.From Safety To Where
15.Novelty
16.Komakino
17.These Days

JOY DIVISION はディスコを想定したロングヴァージョンの12インチ シングルを数多くリリースしているが、彼らはオリジナル アルバムにシングルを収録しない方針だった。従って、これらの収められたベスト盤は別の意味で重要なアイテムである。
なお、同タイトルで1987年までの New Order の軌跡をたどったものもある。 






JOY DIVISION に関するブログとしては 愛語 がある。これ以上の分析を施したサイトをいわし亭は寡聞にして知らない。多方面にかつ詳細に、まとめられた素晴らしいサイトであり、この記事のデータはそのほとんどをこのブログとドキュメンタリー映画 『 ジョイ ディヴィジョン 』 、未亡人となったデボラ・カーティスの著した 『 タッチング フロム ア ディスタンス 』 から得ている。感謝と敬意を表したい。


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