2013年10月29日火曜日

いわし亭部長とフランシーヌ千里部員の音楽放談 ~ ビートルズ 個人史の中の史上最強バンドの記憶


第15回目 テーマ:ザ ビートルズ ~ その凄さについて話しましょう 第二回 記憶編


フランシーヌ千里です。
前回の録音の時には、まだ暑い盛りでしたが、すっかりと秋も深まってまいりました。ポールの来日する日も、少しずつ近づいてきました。

ビートルズが、いかにすごい存在なのか?

いわし亭部長の語りにより、少しくらいは分かるように ( ? ) なりました。
しかし、彼らは最初からその偉大さを本当に理解されていたのでしょうか?
前回はビートルズを 「 記録 」 の観点から、今回は 「 記憶 」 を切り口に、いわし亭部長に語ってもらいました。

ちなみに、先日、音楽家の友人に “ ビートルズってどう思う ? ” と聴いたら、 “ 何も足さなくていい、何も引かなくていい ( つまり完璧 ) ” という、答えが返ってきました。

やはり… ある程度、音楽に造詣が深くないとビートルズの凄さって、実感できないのでしょうか。
いわし亭部長は、どうだったのでしょうか?







  

表紙の惹句が時代を感じさせる 『 FOCUS 』。
今となっては記事の内容に事実誤認が目立つが、さすがに読ませる名調子ではある。


今はなき 『 FOCUS 』 ( 新潮社 ) 1985年4月5日号にビートルズのショッキングな写真が掲載された。それは、1966年3月25日、豪州の写真家ロバート・ウィテカーのアイデアで撮影された肉屋に扮したビートルズで、『 イエスタデイ アンド トゥデイ 』 のジャケットに最初に使われていた写真のBポジである。 このアルバムは米キャピトル レコードが、オリジナルのイギリス盤とは別に独自編集したベスト盤 ( ヘルプ ! 』 『 ラバー ソウル 』 『 リボルバー 』 の各アルバムの収録曲の一部に、シングルとして発表された 「 恋を抱きしめよう 」 「 デイ トリッパー 」 の2曲を加えたもの ) で、このアルバムについて、米国のプレスから質問されたジョージ・ハリスンは、“ 我々は、『 イエスタディ アンド トゥデイ 』 というアルバムはリリースしていない ” と含みのある表現で応えている。また、ジョン・レノンは一連の騒動でコメントを求められ、“ ベトナム ( 戦争 ) も同様に問題にされるべきだ ” と発言している。

この 『 イエスタデイ アンド トゥデイ 』 に関する逸話については、ファンの間ではすでに常識で、いわし亭の友人のコアなファンも “ あれ、ただのベスト盤やん。なんで今頃? ”  と疑問を呈していたが、いわゆる音楽ファン向けでない一般誌が、こうした話題を提供する ということ自体にニューズ ヴァリューがあったのだ。それに実際、このページを開くとやはり ギョッ! とさせられる。

この話題を受けて、当時、新宿にあった老舗の廃盤専門店 えとせとらレコードが “ WANTED!” と題して “ このアルバムを高価買取する ” という記事を雑誌に掲載した経緯もあり、非常にレアだと思われていたこのアルバムが、神田の中古盤屋の壁を軒並み飾る という事態にまで発展した。テレビ番組でも取り上げられたが、その時の時価が何と26万円。中味は簡単に入手できる2000円のアルバムなのだから、これは純粋にジャケットに支払われた金額ということになる。
ま、’80年代以降、マイケル・ジャクソンがビートルズの楽曲の版権を競売 ( なんと相手はポール・マッカートニーとオノ・ヨーコ ) で落札して以降、こうした各国のオリジナル編集版は姿を消しており、その意味で簡単に というのはやや語弊があるかもしれないが…


ビートルズに関する多くの人々の印象は、“ 優等生 ” というものではないかと思う。ところが、デビュー当時の記事に当ると、若者を悪の道に先導するとんでもないチンピラ のようなニュアンスのものが大多数だし、今日的にはベートーヴェンをも凌ぐ とさえ評価されているソングライターとしてのレノン-マッカートニーの才能もただの騒音で片付けられているのだから、驚かされる。

“ 音楽に造詣が深くないとビートルズの凄さは、実感できないのか? ” という疑問がフランシーヌ千里から提示されているが、全く逆で、そうした専門的な知識はビートルズを理解する上で、むしろ邪魔になっている印象すらある。古い資料に当ってもらえば一目瞭然なのだが、斯界で第一人者のように言われていた音楽家や藝術家、批評家の類ほど、その発言にビートルズを貶めようとする悪意が感じられる。
それは実際には、世代論として不必要に大きな視点から語られたビートルズ ファンの女の子たちへの的外れな批判であったりするのだが、彼女たちの思いが正しかったことは、すでに歴史が証明している。多くの場合、こうした新しい変革に最も素早く、敏感に反応するのは、ティーンエイジャーの女の子たちで、彼女たちは語るべき言葉を持っていないだけなのだが、小賢しい評論者はそこをイヤらしく衝いてくるのだ。
こうした評価が、“ 優等生 ” 的なもの ( これも認識間違い ) へと変化し、デタラメな意見を述べていた人々がいかにも、  最初から分っていました ” 的な発言に転向し出したのは何時頃からなのか? このことは、正確に検証しておく必要がある。
それにしても、このフォト セッションが実行されたのは1966年3月25日。つまり、彼らがビートルズとして最初で最後の来日を果たすわずか3カ月前のことなのだ。あのエド・サリヴァン ショーに出演し、視聴率 72% という驚異的な数字を弾き出して、正に世界制覇を成し遂げた翌々年のことである。


商品企画に携わっている人間が終始、向き合うべき問題は “ 陳腐化 ” だと思う。どんなに優れた商品も時の流れとともに、古びて誰も見向きもしなくなってしまう。例えば、’70年代末期に出現したインベーダーゲーム。テレビゲームというカテゴリーの中で、郷愁を交えて語られることはあっても、今日あれをまじめにプレイするゲーマーはいないだろう。現在のテレビゲームはもはや3Dや体感系にまで進化しているのだから。

ところが、奏法に関するテクニックの向上、楽器そのものの進化、またはアナログからデジタル、モノラルからステレオといった録音や音質に関する技術革新音楽それ自体の質とは、全く関係ない。素晴らしい音楽とは、ただただ生得的に音楽の才能に秀でた人間によってのみ生み出されるもの という実にシンプルな事実に回帰するだけのことなのだ。でなければ、今から200年以上も前の作曲家である、モーツァルトなど当の昔に忘れられているはずである。
そして一握りのアーティストによって感得された天上の音楽は、陳腐化という時間の制約から解放されている。これは藝術という領域に特有の、そして最も優れた性質である。しかし、このレベルに達している音楽は、残念ながらほとんどない。
すなわち、ビートルズは陳腐化しない高みに達した非常に稀有なサンプルと言えるだろう。いわし亭は個人的にはビートルズよりもキング クリムゾンの方がはるかに好きなのだが、そのキング クリムゾンにしても米国のチャートで1位を獲得したことはない。ビートルズは米国のチャートで20曲のベストワンを持ちながら “ 取り扱いを拒否する ” といった小売業者やマスコミから抗議の電話が殺到するようなアーティスト写真をさらりと撮影してしまう。大衆性と前衛性が何の違和感もなく、ビートルズの中では融合している。これがビートルズを陳腐化させない多様性であり、ビートルズが未だ越えられない高い壁であり続ける理由なのだと思う。


ビートルズの影響を正直に吐露するミュージシャンの多くは、十代の多感な時期にビートルズと出会っているが、それはおそらく ’70年代の後半から ’80年代にかけてのことではないかと思う。
例えば、2011年 『 ローリング ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト 』 において第51位に選出されているジョニー・マー。ザ スミスを結成した彼は、ジョージ・ハリスンからの影響を隠さないが、1963年生まれであり、“ ジョージが分かった ” と思ったのは15歳の頃だというから、’70年代後半。元ニルヴァーナのドラマーで、現在はフー ファイターズのヴォーカル、ギターのデイヴ・グロールは1969年生まれで、リンゴ・スターにぞっこんの彼が、初めてビートルズの 『 赤盤 』 ( THE BEATLES 1962 - 1966 ) と 『 青盤 』 ( THE BEATLES 1967 - 1970 ) を聴いたのは7歳の時、1975年、ということになる。
オアシスのギャラガー兄弟は、弟のリアムが1972年、兄のノエルが1967年生まれで、兄のノエルはジョン・レノンが暗殺された時、まだ13歳だったが、あの事件によってそれまで気になっていたジョンに一気に急接近したという。
いずれも、ビートルズは解散して数年たっており、おそらく、ビートルズを聴く前にはリアルタイムで、当時流行していたロックやポップスを聴いているはずなのだ。しかし、それでも、彼らはビートルズから影響を受けたという。
こうした当代随一のミュージシャンたちがリアルタイムではなく、解散したバンドから影響を受けたと口をそろえる事実。ビートルズは古びることなく、以前、高い壁として存在し、ほとんどのバンドはそれを乗り越えられずにいる。
実際、その壁に最も苦労させられたのは、当のビートルズのメンバーであったというのも皮肉な話である。『 苺畑の午前5時 』 でビートルズ愛を包み隠さず披瀝している作家 松村雄策は、リンゴ・スターとのインタビューで、うっかりビートルズのことを聞いてしまい、30分の約束を15分にされてしまった ( 笑 ) という。あとで廊下ですれちがっても、目もあわせてくれなかったらしい。元ビートルズにとってもビートルズの話題は禁忌事項だったのだ。 


ビートルズの多様性がその陳腐化を防いでいるという事実は、発表されたオリジナル アルバムを追いかけてみると、より明確になる。
ビートルズに影響を受けている と言う時、いつの? と問うことは殊の外、重要である。実はビートルズは 『 ザ ビートルズ ( ホワイトアルバム )  』 以降、いつ解散してもおかしくない状態が続いたが、発表されたアルバムはその時点で解散していれば、それが最高傑作となりうるものばかりであり、デビュー アルバム以降、そのクオリティがダウンしたことがない。
これは驚異的なことだが、それを実現させていたのが、実は4人の一流アーティストの化学反応がもたらした多様性だったのだ。たった7年弱という短い活動期間の中で、これほどその音楽性を変化させたバンドは極めて稀なのではないか と思う。





ジョンが所有していたと言われている “ ブッチャー カヴァー ”。
ジョンとポール、リンゴのサインが入っており、裏にはジョンの落書きが書かれている。左が差し替えられたジャケットで、
区別するために “ トランク カヴァー ” と呼ばれている。



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ザ ビートルズ ~ その凄さについて話しましょう
     第一回 記録編
     第二回 記憶編
     第三回 ポール・マッカートニー “ OUT THERE JAPAN TOUR ” レポート







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