2012年10月28日日曜日

連載 キノコノトリコ~キノコホテル物語 第1回



【第1回】 メジャーへの関門

インディーズのバンドがメジャーへ移行する際の最も大きな問題は、素人ならではの発想の自由さから生まれる奔放な面白さが、“売れるか売れないか”という下世話なプロデュース感覚によって、削ぎ落とされてしまうことである。プロデューサーにとって彼らは単なる商品でしかないし、プロデューサーにヒットの公式のようなものをある程度、モノにしているという自信やプライドがあれば、そうするのは当然だろう。

彼らにはもちろん悪意はなく、楽曲をヒットさせ、アーティストをビッグに、メジャーにし、そのことによって自分自身のステータスをさらに上げるということも当然、視野に入れているはずだ。 
しかし、アーティスト側にしてみれば、売れることと引き換えに抜かれた牙を取り戻すことは、事実上不可能といってもよく、いったん坂を転げ落ち始めたら、まさに冬山の滑落、奈落の底まで行くしかない。
その意味で、The Stalin FRICTION INU JAGATARA といったバンドがメジャーデビュー盤でもインディーズ時代のキャラクターを押し通せたことは奇跡と言ってもいい快挙だし、遠藤ミチロウやレック、町田町蔵(康)、故江戸アケミといった人々は、彼ら自身の資質に対してあまりにも自覚的であり、忠実であり、かつ頑固だったと言えよう。

当時、齢30過ぎのマリアンヌ東雲(以下支配人 彼女は様々なインタビューで、近田春夫&ハルヲフォンの『電撃的東京』~歌謡曲を近田流ロックに換骨奪胎した傑作アルバム の熱心なリスナーであり、そのアルバムが再販された頃、自分は女子大生だったという発言をしており、逆算すると、現在の年齢は35歳くらいだろう。椎名林檎と同い年という説がある)が彼らと同じく、自らの資質に忠実にメジャーデビュー盤を制作できたのは、これまた奇跡と言っていい快挙であるが、これはFRICTIONのレックが創始したWAXレコードと契約できた ということがかなり大きい。

また、彼女の活躍を見ていると、スタッフ、友人、ファン等々に非常に恵まれている印象を受ける。

例えばインディーズ時代の最初のシングルである「真っ赤なゼリー」の録音時のエピーソードなど、中村宗一郎氏のところへいきなり行って… みたいな奇跡の連続である。正に、彼女の周りには人が集まるのであり、これまた持って生まれた資質と言う他ない。

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音楽配信ニュース ナタリー('10年2月)

──最初に中村さんにオファーしたのは直談判ですか?
東雲 そう。
前田 中村さんは、そう簡単にレコーディングを引き受けないことで有名なんですよ。アーティストを選ぶ人だから。音聴いた上でオファーを断られたアーティストもいっぱいいますからね。

──どういうやりとりを経て引き受けてもらったんですか?
東雲 とにかくちょっとお話をさせてくださいとお伝えして、押し掛けていったわけです。びっくりされたんじゃないかしら。そのうち好きな映画の話などで少し盛り上がったところで、「いろいろ面白い楽器が使いたければ貸してあげるし、また日を改めて遊びに来たら?」みたいなことをおっしゃっていただいて。
それで1カ月後ぐらいに改めてお邪魔したら、中村さんが“もう、録っちゃおうよ!”とすでにマイクのセッティングなどを始められていて… ちょっと音を出したら“これ試しに録ってみない?”って言われて。とにかく早い。中村さんが“これ、いっそ売っちゃいなよ!”と。

──そもそも、なぜPEACE MUSICにお願いしようと思ったんですか?
東雲 ツテはまったくなかったんですけど、ちょうどレコーディングをしたいと考えていたときに、キノコホテルをよく観に来ていたギタリストの方からアドバイスをもらって、行ったんじゃなかったかしら。

──サミーさんとしては、ライヴを観たり音源を聴いたりしているうちに“自分でプロデュースをしたい”と?
前田 最初に観て“これは!”と思って、ちゃんと広く世の中に知られるべき音楽だろうと… “この人たちはコントロールされない人たちですよ”ということを伝えて“音とビジュアル面は本人たちがすべて作ります”ということを条件に当たっていきました。

web Rooftop('10年2月号)

東雲 ミニのミリタリー服というのは早い段階から構想していたんですが、仕立屋をどうしようかと悩んでいた所、ちょうど服飾学校に行っている女の子がライヴのお客さんで来るようになって、その子に相談して作ってもらったんです。

──キノコホテルには専属の記録係(カメラマン)もいるし、いわゆるキノコ・サポーターと呼べる人達が周りにたくさんいますよね。
東雲 ええ本当に、ありがたいことです。私たちは音楽をやることしかできないので。

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まだ、女王様キャラの確立していない、マリアンヌ東雲が初々しい(笑) このノリノリのインストゥルメンタルからキノコホテルへの扉が開かれる


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【第1回】 メジャーへの関門

【第2回】 現在に至るめまぐるしいメンバー チェンジ(2013/2/1 改訂)

【第3回】 キノコ再生~最強メンバー 集結

【外伝】エマニュエル小湊 秘書~キノコホテル退職直前実演会
     2012年12月6日 サロン・ド・キノコ~四次元の美学・名古屋編 クラブクアトロ にて

【第4回】 リズムセクション 電気ベース担当:エマニュエル小湊 & ドラムス担当:ファビエンヌ猪苗代

【特報】新従業員 ジュリエッタ霧島 颯爽登場!(1)(2)(3)(4)
   2013年2月9日 サロン・ド・キノコ~河原町炎上・第一夜 京都磔磔 
   2013年2月16日 FUZZ! presents キノコホテル実演会 高松swagg
   2013年5月24日 サロン・ド・キノコ~淫力魔女の生贄・神戸編 太陽と虎
   2013年5月25日 サロン・ド・キノコ~淫力魔女の生贄・大阪梅田編 Shangri-La
   2013年8月19日 サロン・ド・キノコ  神戸 太陽と虎

【緊急レポート】その時なにが起こったの? 風雲急! マリアンヌ支配人、倒れる

【 緊急レポート 】 「 ノイジー・ベイビー 」 カヴァー騒動顛末記 ~ 歌は誰のものなのか?

【 第5回 】 電気ギター担当:イザベル=ケメ鴨川






2 件のコメント:

  1. メジャーデビューだけがゴールではないけれど、メジャーデビューすることは、一つの目標でもありますよね。
    メジャーデビューしても、そこから転々としていくアーティストや、またインディーズに戻るアーティストを見てると、その浮き沈みの激しさにめまいを起こしそうになるほどです。
    40や50、その先の60になったキノコホテル楽しみですね。

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  2. プロデュースというのは、悪いところを落として、いいところを伸ばすことなんですが、インディーズにはこの悪いところが個性になっているバンドが結構あるんで、そのさじ加減が難しいところですね。まだインディーズという概念がなかった頃の音楽業界と言うのは、その意味で今よりはるかに自由でした。現在のメジャーは、パッケージ商品としての効率性だけが追及されてしまい、アイデンティティの見えないものが溢れてしまう結果になっています。

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